三佐の龍
各山車のシンボルともいえるものです。どの山車の作者も勇ましく見える工夫をしています。真横から見ると、龍等を取りつけている大きな背板は少し前方に傾斜しており、山車を見る者ができるだけ龍を正面から見れるようにした工夫の一つです。各山車の龍は少しずつ違いが見られます。夜の龍が多いですが、まーゆっくりとご覧ください。(コメントについてはわたしの独断的見解ですので悪しからず、、、)
形態 | 町名 | 考察 |
人形山車 | 板屋町 | 待ってました、ご存知板若の龍です。平成10年度の大修理により再び往時の輝きが戻ってまいりました。またその時に落ちていた飾りも少し付けたとのこと。しかし、力士(力神)だけは色を塗らないままだそうです。塗ると神力が落ちる?かー泣けます!ここの龍は、顔の彫りが大変深いというのが特徴です。ということで、下の雄龍の顔も大変くっきりしていて、目まではっきり開いております。ここまで雄龍の顔をはっきり彫っている龍は他にはありません。(ちょっと怖いくらい)と板若のわたしの同級生のK氏が申しておりました。あー最後に、すいません、、、写真がぶれています、、、まーそれだけ熱心に練っていたということでしょう。元気がいい人が多いですからここは。(約1名、笑) |
〃 | 仲町 | ここの龍の特徴として、雌龍と雄龍が離れています。(普通は絡み合っている)そしてここが珍しい点ですが、龍の上に神様が鎮座されておられます。名称は須佐之男命(すさのおのみこと)ということです。もしかしたら愛宕の神と関係があるのでしょうか?また、ニつの龍はコンパクトにまとめられており、金色の足をデザイン化したもの?か波?が大屋根を巻いています。さて、仲町の山車ですが、伝え聞いたところによりますと、三佐の人形山車の原型となったモデルがこの仲町の山車だったとのことです。文献はありませんが、、、なにせ原型ですから昔は家の軒が低かったせいもあり、現在三佐の人形山車の中では車高は最も低い山車です。まー以上が事実だとすればこの山車こそ三佐の山車のオリジンということになりますです。はい。大変歴史的な貴重な山車です。 |
〃 | 裏町 | ここの龍の最大の特徴は、基本的な龍の配置と顔の位置をきっちりと守って作られているという点でしょう。言い換えれば龍の代表的な形を一番表わしているとも言えます。ここの龍の体はわりと細身でありながら、しっかりと尻尾まで大屋根を巻き込んでいます。力士は居ず虎が守護神となっています。龍もそうですが、山車全体が多少色落ちしてます。少々残念です。とってもいい山車だけに惜しいと思いませんか?皆さん?あ、そうそう忘れてました、この山車のすごいとこはガス燈にあります。山車は数多いですが、ここだけですよ!ガス燈をつけている山車は。写真では分かりにくいですが、全面にも2基ついています。風流ですなー。最後に一言、裏町の山車は新港に次いでわたしの大好きな山車の一つです。 |
〃 | 本町 | ここの龍の特徴は2つ!一つは、上の雌龍と下の雄龍が向き合っているという点です。とくに雄龍の顔のひねりはすごいの一言です。仲睦まじいということでしょうか。上の雌龍の口の開き加減も大変迫力があります。二点目は、龍が大屋根に巻いている腹が垂直巻きです。他の龍は左右に流れるように巻いてますが、ここはグリグリ、ぎりぎりとこれでもかといった感じで巻いてます。怒龍の激しい感じがよく出ていて格好いいです。先っぽまで手を抜かず腹が巻いています。はい。ところで、ここの山車は作られてからずっと白木のままでしたが、昭和?年、彩色しました。往時の白木の山車を懐かしむ声をわたしは時折古老から聞きます。白木のままもよかったかなー?写真は残念ながら雨が上がった直後だったので、シートが被っています、、、 |
〃 | 新港 | ここの龍の特徴としては、雄雌の龍の位置と雄の腹鱗の色にあります。まず雄龍が雌龍の上に位置している龍は、めったに例がなく、この新港が独特のものだと言えるでしょう。理由としては当時三佐地区が封建制が色濃かったか、あるいは単なる色塗りの過程で間違えたか、はたまた、他山車に区別化するための意識的なものかは現在となってはわかりませんが、、、まー、それは置いといて、この位置関係とこの腹鱗のマッチは見事なものです。わたしが好きな龍の一つです。またここの山車全体のバランスの良さは三佐の山車のなかでもピカイチです。 |
〃 | 沖 | 沖は遠見とも呼ばれ、役提灯にはその名残がまだ残っています。さて、龍ですが、岩崎栄氏による作で、三佐の龍の中で最も新しい作品です。(もちろん山車も、そして車高も最も高い!)特徴としては、なんと言っても龍の角がでかい!というか長い!龍の顔もその分細長面になっています。いやーこの辺り沖の衆の元気良さと申しますか、心意気と申しますか、素晴らしい作品です。右上の雄龍の足にある渦巻き鱗も特徴の一つでしょう。 |
太鼓山車 | 大村 | はい、わたしの地区の山車です。ちょっと変わったところを見せたくて白黒を用意いたしました。なんと昭和39年の祭りのときの集合写真です。場所は恐らく沖の境内だと思いますが、、、わかりません。龍および山車は昭和32年板屋町の河村辰夫氏の手によるものです。太鼓山車は他地区数多くありますが、小ぶりですが、かっちとまとまっていて、バランスが極めてよいのはうちの山車だけです。と勝手に自慢してます。さて、龍の特徴としては、太鼓山車にしては立派な大きさの龍です。残念ながら写真にある各細部のパーツは現在落ちているものが多いです、、、 角も途中で変わったらしく現在のものと違い、オリジナルはかなり後方に反った形です。全体的にもうかなりガタがきてまして(まーこれは引き回すお供山車の運命ですが)、そろそろ平成の山車を作ってほしいところです。 |
〃 | 八坂 | えー、八坂の山車の龍です。特徴として龍は雄龍一匹です。胴体はニ体あるようにみえますが、、、山車の作者は八坂の「りゅう&はる」さんの親父さんということが最近判明しました。大したものです。お供山車の大村の大きさを越えない大きさに作ったのには頭が下がります。また、太鼓の大きさと音の良さには定評があり、なかなかのものです。以前は笛をラジカセで鳴らしていたので、ちょっといただけなかったんですが、最近はちゃんと笛吹いています。まー昔は人が少なくて大変だったのでしょうね。わかりますね。また、太鼓山車ですが舵がついていて、かなり機動力は高いです。また重量が軽いので、動きは俊敏で太鼓山車としての性能を十分備えていると思います。これも最近教えて頂いたのですが、山車の作者は八坂の菅さん中心に有志の方で作られたとのことです。最後に、八若の方へ、写真が小さくてすいません、、、。 |
担ぎ山車 | 中村 | ここは上に人が乗っている担ぎ山車です。一度わたしも御旅所で担ぎましたが、、、重くて重くて、大変でした。その時、曳き山車の地区に生まれてよかったと思いました。でも、祭りの楽しさを十分知っている地区だと思います。他の地区同様ここもいい人ばかりです。 |
〃 | 薬師堂 | ここは、人は担ぎ山車に乗っていますが、太鼓を叩く二人が乗っています。まー人が少ないのか小学生の女の子が叩いています。昔は青年が乗って叩いていたんでしょうか?わかりませんが、、、ここの地区は特に問題を起すでもなく、青年の構成員は極めて真面目で素晴らしい人々です。 |
板屋町の龍 | |
仲町の龍 | |
裏町の龍 | |
本町の龍 | |
新港の龍 | |
沖の龍 | |
大村の龍 | |
八坂の龍 |
*以上13年度の人形山車の龍の写真は新若の三浦洋二様より頂きました。(私見:毎年、今年こそは絶対に写真を撮ろうと思いながらついつい酒の誘惑に負けてしまうんですねー。で、今年もわたしの写真は一枚もありません。笑ってやってください)