祭りに関する言葉集


祭もの知り百科

○御旅所(おたびしょ)
祭りには、神が「御旅所」にお出になる儀式のついているものが多い。むろん、そういうことのない祭りもある。ふつうは神殿にいる神が、ある定められた御旅所に出向いていく。これは人間が設けた座敷ではなく、神が自ら選ばれた祭場ということになっている。この折に神は神輿にお乗りになり、その神輿がかつがれていく。御旅所は神社のすぐ近くとか、数丁離れた町内のある場所とか、あるいはかなり遠方にあって、十数里も離れていることもある。氏子の家が御旅所に定められて場合もある。多くは、小高い丘や、海浜や川のほとりに設けられている。


○風流(ふうりゅう)
御旅所への御幸の行列で、人々の耳目をたのしませるものを風流といった。山車、曳山、山鉾、檀尻、などの練物や曳物に万燈や旗などをかざし、きれいに飾り立て、鉦・太鼓ではやし、賑やかに行列を連ねる。さまざまな舞踏も加わる。祭りの芸能は、「風流」の名で発達したのである。いま、郷土舞踊として残っているものの大半は、もと「風流」のものであった。獅子舞い、雨乞踊り、太鼓踊り、羯鼓踊り、念仏踊り、盆踊りなど、みな然りである。祭りが派手になったのも、この行列と風流を見物する者が現れたからである。


○山車(だし、やま)
きらびやかな飾物をして引くのだけでなく、中にはかついでまわったりする屋台も、また山車といった。台の上には鉾や人形、マツ、スギ、花などを飾り、人が乗り込んで鳴物で祭囃子をはやしたりする。「山車(さんしゃ)」とか、「山(やま)」とも呼んだりする。鉾を立てないものは、「団尻(だんじり)」という。江戸では屋台全体を「だし」といったが、上方では、鉾や柱の先端の部分をいったのである。平安時代に「標山(しめやま)」が考え出され、中世になって一段と装飾が加わり、派手さを増し、音曲も賑やかになって、「山車」が祭りの中心のようになっていった。


○鉾(ほこ)
武力を象徴し、一種の呪術的な力をもつものとして、祭りとか宗教的儀式に用いられるようになった。神輿の幸鉾や京都祇園祭りの山鉾のように、神事を飾り、祭りの中心的な象徴と化したのである。祇園祭りが全国に広まるにつれ、鉾の形も沢山の変形を生んで、いろいろな鉾の登場を見るにいたった。


○神輿(みこし)
もと、皇室の鳳輦(ほうれん)に擬したもので、神さまのお乗りになる物である。形は、四角、六角、八角などがある。屋根の上には、鳳凰とか、葱花をのせ、台には二本のかつぎ棒がつけられている。もとは幣串に神霊を移して、それを奉じて場所を移動するだけであったから、神輿はなかった。平安時代になって、京都を中心に昼祭りを主にやるようになってから、祭りは見る祭りと変わったので、神の乗り物も登場することになったのである。行列の中央に神輿をおき、「お渡り」を多くのものが警護して行くという形である。神が輿に乗れば重くなり、荒れることになっている。霊験あらたかであれば、なおのこと荒れるといって、神輿を振ったり、ゆすったりした。これはかついでいる人間のせいではなく、神慮のなせる業と考え、「荒れる」ほど豊作が期待された。神輿のせいにして、ある家に日常の私怨をはらすなどということも起こったので、軒や桁が一本位折れてしまうこともしばしばであった。「今年の神輿はひどく荒れる」などといって見物方は喜んで、右往左往していっこうに進まぬのを楽しんでいる。由緒ある家の門先では、並の家の前を通る時よりも手間をかけるのが慣いであって、時にはしばらく小休止したりする。新興の家も、また同じように神輿に休んで貰いたいと願って、余分な入費を負担するということも起こった。神輿を海中に入れてもんだりするのは、神が海を渡って来られたという考えが古くからあって、神体が海岸に漂着したという伝説などと深い関係にあった。


○祭り囃子(はやし)
山鉾、山車、屋台、檀尻、などの上で、祭りを賑やかにしようとことからはやすのであるが、もとは神を迎えるための一種の「乱声」であった。江戸時代における祭りの風流化に従って、祭り囃子も一層賑やかになっていった。祇園信仰が全国に広まるにつれ、祇園囃子が流布されていった。関東では「神楽囃子」とか「神田囃子」と呼び、千葉では「佐原囃子」、秋田角館には、「飾山囃子」などがある。祇園囃子は、笛、太鼓、鉦ではやし、「渡り」のときの曲目には、「地囃子」「揚げ」「あとあり」「三光」「井筒」「初音」「はっか」「まぬけ」「唐子」「打上げ」などがある。「戻り」のときには、「戻り上げ」「つき」「朝日」「紅葉」「立田」「立田上げ」「御幸」「四季」「よこ」「横上げ」「榊」「登里」「獅子」「扇」「ともえ」「八百屋」「鉾」「長井野」「うさぎ」などの曲を演る。神田囃子の用いる楽器は、大太鼓、小太鼓、笛、鉦ではやし、曲目には「屋台」「鎌倉」「国かため」「四丁目」「子守歌」「いんば」「正伝」「神田丸」「玉打ち」「車切り」「きりん」「亀井戸」「昇殿」「夏祭り」などがある。祭りの情緒をもり上げるための、うきうきした調子の旋律も多いが、その中にも牧歌的で、純日本的な美しい旋律のものもある。


○神楽(かぐら)
神座に神々を勧請し、その神前で鎮魂、清め、祓いなどの神事を行ったのに始まる。が、いまの神楽は、神事に伴う歌舞いといった趣に変わってしまっている。全国の神楽は、その形態から次の四種に分けられている。@巫女神楽…巫女が鈴とか扇、榊の枝などを持って舞うものである。A出雲神楽…出雲の佐陀大社の御座替祭りに範をとった神楽である。これは素面で舞う採り物の舞いと、神話や神社の縁起を能風に脚色した神能とに分けられる。後者は、岩戸神楽、神代神楽などとも呼ばれている。B伊勢神楽…伊勢神宮の外宮で行われた湯立て神楽を範としたもの。この湯立てを主にした神楽はほとんど全国に広がっていて、湯立て神楽、霜月神楽とも呼ばれている。C…獅子舞頭によって、悪魔を払い、火伏せ、息災延命を祈祷するもの。獅子に頭をかんでもらうと虫が止むなどの信仰も生まれた。獅子頭をまわすだけでなく、一種の能も演じ、太神楽などにいたると、曲芸や狂言も演じた。


○女人禁制(にょにんきんせい)
女性は不浄なものという考えから、聖域や神事、祭場に近づけないようにする習俗は、ごく最近までどこにも残っていたし、今でも祭りのときなどは厳しく、このことを守っているところが少なくない。女性自体を不浄と見る考えと、一定期間の生理状態(月経・出産)のときのみ不浄とみる場合とがあり、全体の傾向としてはずい分、緩和されたといってよい。主に神祠などは女人禁制になっている。神饌をととのえるのは男の役目であって、このような神聖な場所は女はみだりに出入りしてはいけない。今でも古い女性の中には、生理のときには、鳥居から中の境内には立ち入らぬようにし、まして祭日であったならなおのこと、遠くから拝んでしまうという観念は残っている。女で神聖な場所に近づけるのは巫女くらいのものであった。


○宵宮(よみや、よいみや)
祭りの前夜のことを宵宮というのであるが、本来は、宵宮が祭りの中心であった。祭りは夜を主としており、夜から朝までであった。夜籠りするとうのが、本来の形であって、昼の祭りは変形したものである。現在は宵宮といえば、御神燈を明るくともし、翌日の式の準備をする位にとどまっているが、かつては、ここに最重要部分が置かれていたのであるが、境界へ榊を挿しに走ったり、深夜に神饌を献じたり、大篝の火を一晩中もやし続け、その前で神楽を行ったりした。宵宮を「ヨド」といい、ヨド参りなどといった。


○祭りの型
祭りによって、いろんな型があるようであっても、長年繰り返されるうちに、ほぼ一定の型ができ上がったといってよい。その形は、五つの部分によって構成されている。@清め…祭りに入る前に祭場を清め、関係者も心身を清浄にするために浄める行事をする。水浴し、けがれたものとの接触をさけるA神迎え…神おろしともいうが、定められた場所に神霊を招く。その行事として神主が祝詞を読んだりする。B神への祈願…神饌を供え、祈願、感謝のお祈りをする。このときに神楽や能、音楽、舞いを行い、祟る神霊には慰撫につとめたりする。C会食…直会(なおらい)ともいう。神前に供えた物を参加者で食べる。祭には、本来、籠ることにあって、お籠りしながら会食することにかなりの比重が置かれていた。D神輿の巡回…ある定められた地域、またはコースを神輿をかついで歩き、神霊の威力を氏子全員に及ぼし、無事息災を祈る。これがおよその型である。



祭ことばの豆知識(抜粋)

○社(やしろ)
社という漢字は耕作神のことで、そこに集まる人間集団の意味に使われる。日本では神社のことを言うが、文字だけ借用したのである。ヤシロは屋代で、社殿を設けるはずの場所をいう。日本の神は元来、祭のたびに来臨し、祭が終われば帰って行くものであった。祭の場(社殿)もそのつど作り、終われば取りこわした。神社建築が立派に、永続的なものになったため、神が神社に常在するように、人の意識も祭の形も変化したのである。


○拝殿
神社には、ふつう、神殿(ほんでん)の前にもう一つ建物があって、それを拝殿という。奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)や埼玉県の金鑚神社などは、山そのものを御神体と考えてるので、神殿を持たず拝殿だけがある。神祭りをするとき、神殿の前の雨ざらしの場所では、何かと都合が悪い。とくに幾日もお籠りして祈願を続けるためには、手ごろの建物が必要になる。籠り堂を別に持つ神社もあるが、神殿の前の拝殿に籠るのが本筋であろう。


○神社
日本の民族信仰には、仏教のような偶像崇拝がなかった。今は神像を御神体に持つ神社もあるが、それは仏像の影響による新しい現象で、御幣か石などの依り代さえあれば十分なのである。現実には、刀剣や鏡や曲玉を御神体とする神社が多い。これらはもともと、貴人が身につける権威の象徴というべきもので、神様の姿を表現した御神体ではない。神様を見ると目がつぶれるという考え方さえあった。


○氏子
村氏神のように地域で祠る神の場合、その地域に住む崇敬者集団の個人をいう。昔は原則として、村氏神を崇敬しない村人はなかったから、全員が自動的に氏子となった。赤子が生まれると、三十日前後の忌明けの機会に、初宮参りをさせて氏子入りをする。わざとでも神前で赤子を泣かせて、神様への印象を強めようとする習俗もある。あるいは五歳とか七歳になった子どもに、氏子札を渡す神社もある。


○御幣
ぬさともいう。神に供える布などを、木や竹の串にはさんで差し上げたもの。これが依り代の観念と結びつき、むしろ依り代の代表的な形として、神道分化の中に定着している。秋田の梵天祭りの梵天は、ぬさの一種であり、栃木・福島県境の八溝山の梵天には、土地の名産干瓢を垂れ下げたものまである。こんにち、一般的な御幣は、紙を切り垂れたもので、注連縄にはさんだりするほか、数多く束ねて棒にとりつけ、神事や婚礼のときに神職が祓えの道具に使っている。


○注連縄(しめなわ)
占有の意味の占め縄で、立入り禁止の場所に張りめぐらす縄。通行禁止のために張る縄は道切り縄という。しかし、一般には、神霊の占有の場所に張る縄を呼ぶことが多い。注連縄は文字通り、縄状のもののはずであるが、占有や禁止を示すのが目的だから単なる標識でもよい。そのため輪注連・ごぼう注連・海老注連などと、種々の形のものが考えられ使われるようになった。


○おわたり
渡御ともいう。祭りのとき神輿が村中をめぐることである。日本の神は、祭りのたびに遠くから訪れ来るものであった。神社に神が常在すると考えるようになっても、その印象だけは残り、神社から神輿に乗って、村の中を巡回するようになった。そして、途中で御旅所と称する臨時特設の社殿で、しばらくお休みになるようになった。夏祭りには、神輿が海や川や湖を船で渡る、水上渡御の例も多い。

*参考文献:昭和54年刊『心のふるさとをもとめて日本発見・祭り』暁教育図書