神々の戸籍


○日本の神様

○日本にある神社の数は、一口に十万社ぐらいだと言われている。しかし、それは表向きの話で、各家の屋敷の隅に祀る小さな石宮なども数に入れると、実に数百万、とても数えきれるものではない。
○たとえば一軒の家を見よう。たいていの家には神棚があって、伊勢の皇太神宮やその地方の神様が祠ってある。観光かたがた遠い土地の各社・大社に行ってお札をいただいてくると、それも一緒に祠ってある。
○火を使うところには、かまど神や荒神を、台所には夷様や大黒様を、井戸ばたには水神を祀る。寝室に納戸神、便所に厠神を祀る家もあり、屋敷の隅に屋敷神を祀る家は多い。そのほか農家では田の神を、山仕事をする人は山の神を、漁業者は夷様や船霊様を祀っている。
○八百万の神とは、よく言ったものである。八百万というのは、もののたとえで無数ということであったが、現実にも八百万以上の神々があると見てよい。日本人は神々にとりかこまれて生きてきたのである。
○そういう神々を、キリストやマホメットやお釈迦さまと、同じように見ることはできない。神の観念が違っているのである。日本で神と呼ばれているものは、唯一絶対者としてのGodではなくて、ほとんど霊魂と言うべきものである。
まるキリスト教でも回教でも、それ以前に原始信仰の時代があった。日本でも独自の神学を持とうとする努力はあったけれども、霊魂信仰があまりに根強かったために失敗に終わり、仏教を借用する時代が永く続いた。

○分霊を祀る

○ごく自然に考えてみよう。荒地を開墾して村を経営しようとする。苦しい労働が続く。食っていけるかどうかの不安がつきまとう。そういう中、結束の中心として神を祀り始める。その神は、何様でなければならぬということはない。住民が選ぶのである。
○選ぶ以上は頼りになる神様がよい。農業ならば豊作にしてくださるような、水利のよくない村ならば水神として著名な、自分たちにとって役に立つ、霊験あらたかな神を迎えようとするのは、当然のことである。
○大きな社になると、その神徳を宣伝して歩く御師というのがあって、寄進を集めるような名目で全国を歩いていた。信者の集団である。それほど積極的でなくとも、旅人などから情報を得て、神様の霊威(効用)は伝わっている。
○近世には伊勢神宮に対する信仰が爆発的に高まった。ちょうどその時期は新田開発が盛んであったから、近世に開かれた新田地帯には、伊勢の信仰、つまり神明社を氏神に祀る村が非常に多いのである。
○これぞと思う神社から分霊をいただいてきて、別のところで祀り始めるのを勧請という。日本では、尊い神は遠くから訪れてくるという考え方があるので、遠くの大社から勧請するのに抵抗はなかった。村氏神のほとんどは勧請神である。
○それにしても、分霊を分ける側の本社は、はじめどのようにして出来たのか。こんにち著名な神社には、すべて祭神というものがある。しかしその祭神が、もしくはその祭神を、祀り始めてからその神社が成立したわけではない。
○神社側の説明は、信仰的真実ではあっても、歴史的真実でない場合が圧倒的に多い。祭神のほとんどは、ずっと後になって、神徳に合致する神名を、『古事記』や『日本書紀』の中から拾い上げたものである。祭神が不明でも、全くなくても、霊験に変わりはない。

○職業別の神様

○したがって一つの神社には、一柱の神様が祀ってあるとは限らない。むしろ幾柱かの祭神を合祀するのが普通である。雑多というのはよくないから、主神とか摂社・末社の別を設けているが、要するに種々の神様を祀っている。
○明治時代には、あまりに神社の数が多いので国教として援助するのに都合が悪いなどの事情があって、政策として神社の統合を進めたことがある。たしかに、その影響によって祭神が多くなった事実は認められるが、そういう事情を別にしても、祭神が単一であるとは限らない。
○人間にとって、神様がどんな恩恵を与えてくださるかを機能という。田の神・漁の神・食物の神というような分類をした場合に、そういう神々を機能神と呼ぶことがある。さらに、一定の職業に密接して、その職業を守ってくださる神を職能神という。
○いつの時代にも、生活の基盤は生業にあったから、生業を見守ってくれる職能神は、何にもまして重要な神であった。鍛冶屋や石工は金屋子神を祀り、大工・桶屋・左官屋などの職人は聖徳太子を、商人は夷様や市神を祀る。
○紺屋つまり染物屋は愛染明王を祀る。何だか語呂あわせの感があり、愛染明王は仏であって日本の神ではなかったが、そういうことをあまり気にしていない。薬師様を祠る薬師神社があっても、こくに異和感を持つこともない。

○災難を防いでくれる神様

○幸せをもたらしてくれる神は、逆に言えば災難や災厄を防いでくださる神でもある。災難の元凶と思われる神を祀り、なだめすかして安全を求めようとすることもある。防火のために火伏せの神を、暴風よけのために風の神を、落雷の難からまぬがれるために雷様を、それぞれ祀る神社がある。
○中でも多いのは、御霊信仰系統の神々である。上代に物の怪、怨霊、近世無縁仏と呼んでいるものを、中世には御霊と呼んだ。死後の祭りをしてくれる子孫を持たない人の霊で、それが空中をさまよっていて、人に害を与えると信じられていた。宗教学では浮遊霊という。
○日本の民族信仰では、ふつうに死んだ人の霊は、一定の年月が経つと穢れがなくなり、個性のない一かたまりの祖霊になって、子孫の生活を見守ってくれるものと信じられたが、自殺・戦死・事故死の人の霊は、行くべきところに行き着くことができず、浮遊霊となって人に厄害をおよぼす。
○それをなだめようとしたのが御霊神であり、愛媛県宇和島などの和霊様も一連の神社である。祇園社などには種々の要素が入り混じっているが、祀り始めの動機は御霊を鎮圧するためであった。そのためスサノオノミコトのような、強くてはげしそうな祭神を配したのである。

○神と人との関係

○御霊の暗躍を制圧するためには、霊威の強い神の力に頼ることもあるが、毒をもって毒を制すと同じような論法で、非業の死をとげた人の霊を祀って、その神に御霊をおさえてもらおうとすることがある。
○難産で死んだという言い伝えのある神様に安産の祈願をしたり、オコリ(マラリア)で苦しんだ髪にオコリの祈願をしたりする。まるで効果が期待できそうにない気もするが、これを同情悲願といって、実際には多くの実例がある。
○菅原道真公は不遇のままで世を去ったというので、天神様として神に祀られているし、斎藤別当実盛は戦に敗れて御霊となり、それが稲につく害虫の根本だという。虫送りでは藁人形を作り、それを実盛と称して村境まで送って行く。
○唯一絶対神の神観念の場合は、人と神とは全く違った存在である。人が簡単に神様になれるはずがない。ところが日本人の神観念のもとでは、カミとは言っても実質は霊魂だから、人と神とは、極めて近しい間柄なのである。
○松陰神社の吉田松陰は志を得なかったし、乃木神社の乃木大将も自刃したが、神と人との関係が密接してくると、死にかたの如何にかかわらず、英雄・偉人は皆、神に祀られるようになる。
○そのほか日本の神々の中には、原始信仰以来の自然神があり、遠来の神に対しては地神・地主神のように、もとからその土地にいた神がある。御霊神に対しては祖霊神がある。仏教の仏も取り込んでいるし、仏教と集合した修験道の神もある。
○日本文化の特色が複合という点にある以上は、神々もまた複雑に入り混じり、地方色を持っているのも当然のこととしなければなるまい。


*参考文献:昭和54年刊『心のふるさとをもとめて日本発見・祭り』暁教育図書