笙
しょう
雅楽と言えば多くの方がこの楽器の事を思い浮かばれる事と思います。
「里の土産に何もろた、でんでん太鼓に笙の笛」と子守唄に歌われるほどに大変印象深い楽器といえるでしょう。
その笙ですが、まず目にとまるのがその形状であろうかと思います。
あれは十七本の竹管(真竹や煤竹を細工したもの)を「匏(ホウ)」とよばれる木製のふいごの上面にあけた穴に差し込んだもので、
その優雅な姿かたちから鳳凰が羽を休めてとまっている姿によく例えられ「鳳笙」とも呼ばれます。
又、その形もさることながら一番印象深いのはその音でしょう。あの音の秘密は管楽器には珍しく和音を奏でる事により生まれるもので、
古の人々はその風雅な音色に「鳳凰の声」、「天から差し込む光」と形容した言い方をする程に美しい音を奏でます。
演奏法としては和音を奏でる事により曲全体を包むような演奏の仕方をします。
しかし、その音を鳴らすには笙を暖めなければならないという原則があります。何故暖めるのかと言うと、
それは笙の構造に関係があります。 笙は息を吹いても吸っても音が鳴る構造で、ハーモニカ等と同じなのですが、
ハーモニカの場合は吹く時と、吸う時に音が出るリードが別々に二つ取り付けられており、その構造をダブルリードといいます。
しかし笙はそれとは違い、たった一つのリードが吹いても吸っても音が出るようになっており、これはリードが息の具合によって自由に動く為で、
その構造をフリーリードといいます。いまいち感じがよくつかめないと思いますが、
身近なもので置き換えるならば小学校や中学校で使ったリコーダーの吹き口の近くにあるへこんだ部分(音の出るところ)があったのを覚えておられると思いますが、
笙はあのへこんだ部分が息を吹いたり吸ったりする事で内側や外側に動く仕組みとなっており、それによって音が出る仕組みとなっているわけです。
このような構造である為に、そのリード部分は人の息に含まれる水分によって動きが鈍くなる事があります。
それを防ぐ為に演奏の前などには火鉢の炭火などで暖め、水分を蒸発させてやらなければならないのです。
笙はこのような仕組みのリードが各管に取り付けられており、都合十五本の竹管から音が出るようになっています。
しかし、何故十七本の管があるのに十五本の管からしか音が出ないんだという疑問が浮かばれるかと思います。
それは、「也(ヤ)」、「毛(モウ)という音の鳴らない二管には元々リードがあったのですが、(正倉院の笙にはついています。)その音が日本人好みの音と違っており、
使わなくなったので取り外されたものであろうと考えられています。では、何故その必要のない管を取り外さないのかと言われれば、
それは「野暮」というものです。あっても意味の無いものではあるが、無くなってしまうのも良くないものであるものに対して、
文句を言う事を野暮といいますが、その野暮の語源はこの笙の使わなくなった「也、毛」の管の語が訛って、
「也毛→ヤモウ→ヤボウ→野暮」となったもので、十七本揃っているから美しい笙の形をわざわざ十五本に変えたりするのは
愚かしい事である。という事からの故事だそうです。
このように見てみても笙はその形状、音、製作から演奏に至るまでに実に繊細な楽器であるといえるでしょう。
引用サイト…「青葉雅楽会」