篳 篥

ひ ち り き


雅楽をはじめて聞かれた方は笙や、龍笛の音よりも曲の主旋律奏でる篳篥の音に圧倒されるのではないでしょうか。

「篳篥はいとかしがましく、秋の虫をいはば、轡虫などの心地して、うたてけぢかく聞かまほしからず」と清少納言の枕草子の一説には述べられています。

クツワムシとはひどい表現ですが、確かにその音は大きく平安時代の女性にとってはあまりの音の大きさに気遅れした感があったのかもしれません。

ですが、それは下手な人が吹いた場合で枕草子のつづきには「楽人が巧みに吹くものはとても心地よい」とその音のよさを絶賛しています。

当時でもこのように心地よい音色でしたが、これを現代の人々が触れてみると、何とも言い難い大陸的な力強さを感じずにはいられません。

いうなれば笙が細工に細工を凝らし、音まで細密な楽器であるのに対して、篳篥は単純な構造であるが為かそれが故か、

その音には何の脚色もなく長さ十八センチという短い竹筒からは想像もつかないほどの雄大な音を奏で、

「大地の人々の響きをあらわす」と例えられる、そんな野性味あふれる魅力的な楽器であるといえるでしょう。

 そんな篳篥ですが、構造は一般の縦笛と大きくは変わりません。しかし、只ひとつだけ違っているな部分があります。

それは蘆舌(ロゼツ)と呼ばれるリード部分で、これは篳篥の頭の部分に差し込み、息を吹き込むことで音が出る仕組みとなっています。

形としては、クラリネットのリードような形ですが、ダブルリードで構造的にはどちらかというとオーボエのリードの方に近いようです。

(ペルシャあたりで発生した篳篥の原型が西洋に伝わりオーボエ等になりで、東洋に伝わったのが篳篥になったと考えられています)

 しかし、この蘆舌(リード)ですがいきなり口にくわえても音は出ません。音を鳴らすには暖かいお茶を必要とします。別にのどの渇きを癒す為ではなく、

そのお茶の中に蘆舌を浸し少し軟らかくしてからでないと音が出ないようになっているのでお茶を必要とするわけです。

別に軟らかくする為だけならお湯でもいいじゃないかと思いますが、その辺は昔の人の知恵ともいうべきところで、

お茶につけることによりお茶の持つ抗菌性や除菌性を利用してカビや雑菌が繁殖することを抑え虫除けになるんだそうです。

 このようにして準備が整ってから演奏に入るわけですが、演奏法はその音とは裏腹に実に微妙で大変高度な感性を必要とします。

それは息の強弱具合によっては一音階ほど音が変わってしまうので、その音をしっかりと聞きわけられないと吹きこなせない為で、

この楽器を吹きこなすにはかなりの音感が要求されます。しかし、この音が変えられるという特色を利用する「塩梅(エンバイ)」という奏法もあります。

これは音から音へと移るのを指を変えずに息の量を調節する事によって変える奏法で、実に繊細な音の表現が可能です。

(枕草子で「うるさい」と言われた人はこの技術がまだ未熟だったのかもしれません。)

 こんな篳篥には色々と逸話も残されています。例えば最近人気の小説家の夢枕獏さん原作の陰陽師でも登場する、

「源 博雅」が自宅にいた時に強盗が押し入り、あわてて押入れに隠れこみ、騒ぎが収まってから出てみると家財道具を片っ端から持ち去られ、

唯一残っていた愛用の篳篥を無常の感を込めて吹いたところ、その音に魅せられて自分たちのした事を悔いた盗人が盗品を返しにきたという話や、

和迩部用光という楽人が海賊に捕まった時、冥土の慰みにと吹いた篳篥の音色に海賊が改心した話など、

どうやら篳篥の音色には人の感情の根源的な部分に強く訴えかけるそんな力をもっているのかもしれません。

引用サイト…「青葉雅楽会」