日々の指針

著:西園寺昌美先生


平成13年度

4月
一、憎しみを抱くことによって、自分の人生がみじめなものになる。
一、いかなる欲望(物資的、知的、霊的)からも超越できる人は、神人と言える。
一、時間の浪費は、人生の浪費。
一、一生のうち一度は、死に物狂いになって人のために尽くすことだ。
一、神のために、人のために生命を捧げることは、自分の内なる神に尽くすことと同じである。
一、成功や目的達成は、決して人を傷つけて成り立つものではない。
一、世界人類一人一人はみな、自分の言葉、想念、行為の責任を結果を負わねばならない。




5月
一、自らを救うものは、自らでしかありえない。
一、人は毎日、素晴らしいことのみ、善いことのみ、心ときめくことのみ、成就したことのみ想像し、創造してゆくことが大事である。
一、人は絶えず自分自身の作りあげた束縛の中で生きている。
一、やらなければならないことがたくさんありすぎて、自分を見つめる時間がないならば、それは本末転倒である。
一、人は自らにむなしい努力を強い、地位や財産を手に入れたとしても、自らの魂は決して満足しないであろう。
一、人によっては、自分がどれだけ不幸で困難かを語ることに最大の意義を見出している。
一、最も幸福な人とは、ささやかな幸福を決して軽んじない人である。




6月
一、人はみな、可能な限り高貴に生きたいものだ。
一、すべてを受容できる時、それは不信が信頼に変わる瞬間だ。
一、あなたが不安や恐怖を感じる時、あなたは自己の欲望で一杯になっている。
一、人生とは、さまざまな困難や苦痛に耐えるためではなく、自らの内に宿る神性を目覚めさせてゆくためにある。
一、自分に自信がない人ほど、ずる賢く、嘘つきである。
一、あなたは毎日、誰と闘っているのですか。ハイ、自分とです。
一、あなたは自分の言葉を通して、その状況、環境を創り出している。




7月
一、想念は現象化する。
一、地球は生きたマンダラそのもの。
一、マンダラは大宇宙(宇宙神)と小宇宙(人間)を結ぶ光のかけ橋である。
一、人生には、自分が望むことしか起きない。それ以上でもそれ以下でもない。
一、我々は自分を制限する一切のものを運命と呼んでいる。だが、運命とは真理を運びつづける生命そのものである。
一、悲しみが、不幸が、病気が、事故がどういう人を好み、選ぶのか。その責任は、選ばれた人にある。
一、全体から切り離された部分のみを研究することは無意味である。




8月
一、自らを解放するのは一人一人の責務なのだ。
一、愛の行為そのものが歓喜であり、決して報いを求めるものではない。
一、富士聖地は、人生に打ちひしがれているすべての人々の避難所である。
一、自らの心が上昇するに従って、魂の秀れた人々に出会えるチャンスに恵まれる。
一、人は情熱も徳行も感嘆もないまま、一年一年を過ごしていても、ふとした原因や動機によって真理に目覚め、人生が一変するものである。焦ることはない。
一、人はみな、神の次元に生きているものである。
一、人を救済する前に、自分が救済されてこそ人を救済することが出来る。



9月
一、毎日繰り返される日常生活の些細なことから、まず義務や責任を果たすことを身につけることだ。
一、声高にボランティア活動をしていると言う前に、まず己れ自身の魂を養い、高め上げることが先決である。
一、母親が常に信頼を寄せられ、活力に溢れ、自信に満ちた生活を送ることが、子供の真の教育となる。
一、自己犠牲は苦しみの美しい姿である。しかし、苦しみそのものを目的に、苦しみを我が身に引きつける必要は毛頭ない。
一、自分自身の内で美しく輝いているものはみな、同時に他人の中にも存在している。
一、まず自分自身が気高く、美しくならなければ、人々を高め、輝かしく、豊かにすることなど出来るものではない。
一、自分自身の内に素晴らしいものを何も見つけられないなら、人の中の素晴らしいものもわからない。



10月
一、忠告ほど役に立たぬものはない。忠告に代わる行為は赦しである。
一、結果を求めて善を為すことは偽善である。
一、神世紀、原罪のない崇高にして気高い魂が次々と地上に降り立ち、人類を神性霊性の開発へと導き、地球人類の救いに立つ。
一、理想を持たずに人生を生きることは価値がない。
一、”個に生きる”ことの個とは、宇宙の中心、地球の中心、天の中心、地の中心そのものである。
一、「それをしたいのだが時間がない。いやそれよりも先ずやらなければならないことがある」等とあれこれ言い訳を考える前に、何事もまず思い切って始めてみることだ。
一、人が愛するのは自分のためではない。




11月
一、神人は幸せのみを数多く語りつづけてゆかねばならない。
一、真理の言葉は生命のひびき、魂の振動。
一、あなたはあなた自身の善き友である。
一、私の本心よ!もうこれ以上私から遠く離れないで!
一、人に知られることなく、黙々と人類即神也の謹書を書きつづけることのすごさ。
一、すべては選択、一瞬一瞬の選択。
一、親は子を完全に信頼してあげなくてはならない。その代わり完全に責任をも与えなければならない。




12月
一、神人は、神とともに創造を司る創造者である。
一、精神文明、霊文明のゆきつくところは、人類と自然の調和である。
一、人類の未来も地球の存続も、すべては人類一人一人の手の中にゆだねられている。
一、宗教のレベルは、その宗教に属する人たちの意識のレベルで決まる。
一、生命には敵も味方もない。
一、知っていると思い込むとそれ以上前進しようと思わなくなる。形だけの知は、むしろ知ることの妨げとなる。
一、思いを変えれば、自ずと行動はついてくる。




1月
一、神のみ心を自己の心として生きてゆく状態が祈りである。
一、道は一度に遠くにはゆけぬものである。しかし、道は近くにあって、しかも永遠にまでつながっているものである。
一、最も身近にある道は、家庭調和の道でありながら、そのまま世界平和の道でもあるのである。
一、何ら人格を磨くことなく老いていった人は、真実の意味において老人ということは出来ない。齢を重ねるにつれて生命観を深めるように心がけ、人格高潔な人にならなければならない。
一、生命エネルギーを無駄使いせず、人類の進化のために使うべきである。
一、物事を実現させるのはあなた自身です。誰かが何かをしてくれるわけではない。
一、願うことがあいまいなため叶わないことが多く、叶わないと今度は「願ってもダメだ」という否定的な発想となり、結局願いごとは叶わない。現実の生活に密着した小さな願いごとから始めることがよい。




2月
一、真理は自らの体験を通して初めて消化されるものである。
一、真理は理解されただけでは不十分である。それを体験に結びつけてこそ真価が現われる。
一、生きることの真の意味は、我々が一体何者であるかを追求し、理解してゆくプロセスである。我即神也
一、衝動とは内に抱えている不完全燃焼エネルギーが、解き放たれたいがため外に放出される際に起こる現象である。
一、余分なエネルギーは、祈りや印によって善なる方向へ放出させるべきである。
一、余分な不完全燃焼エネルギーを過剰に抱えている人は、一刻も早くそのエネルギーを内より放出したいがため、知らないうちに(無意識に)事故や病気に変換してしまっている。
一、内なるエネルギーには善も悪もない。その同じエネルギーが外に放出される時、暴力、悪、憎しみ、不平不満として放出されるか、あるいは愛、想いやり、優しさ、創造、努力として放出されるかは、あなたの心一つだ。だからこそ、祈り、印が尊いのだ。





3月
一、現在という瞬間はいつも未知なる可能性に満ちあふれている。
一、真理を、真理を、もっと真理を人類のもとに!!
一、生は待つことは出来ない。だからこそ一瞬一瞬が尊いのだ。
一、あなた自身が人類にとって一つの真理なのだ。
一、人間は生を探求するのではなく、死そのものを探求すべきなのだ。
一、あなたが今いかなる状況のもとにあろうと、魂は至福の中にある。
一、何と途方もない無限なるエネルギーが、この自己の細胞の遺伝子の中に存在していることか。




平成14年度

4月
一、人は知識を重ねるほどに自分の無知に気づく。
一、人間の可能性は、気づきにより初めて発揮される。
一、人は自分の可能性に目覚めた時、不安はかき消される。
一、自分を心から信じられる人のみが、真の自由を手に入れることが出来る。
一、放漫な人、偉ぶった態度をとる人は皆、心に不安を抱いている人たちである。
一、人は誰にでもいかなる失望、絶望からさえも、はいあがれるほどの偉大な能力がそなわっているものだ。
一、人は、すべての生命を慈しむ心を失えば、自らの生命の尊厳さえも失ってしまう。

5月
一、自らに投資できる人は、真理が判った人。
一、人に尊敬されなくてもよい。自らが自らを心底尊敬できるようにような人になれば、それでよい。
一、健康にばかり心が把われている人は健康病である。
一、何でも素直に感謝できる人は心の強い人である。
一、自分で作り出したウソの中で生きる人々は真実が語れない。
一、あるがままの自分を赦し、あるがままの自分を抱擁できる人こそ真実の人である。
一、うわべの自由を獲得するよりも、内なる自由を発揮することだ。

6月
一、真の勇気ある人とは自分に正直な人である。
一、怒りには目的がある。相手に対する責め裁きのように思われるが、本当は自分に対するふがいなさである。
一、死とはあとからくる人たちのための平安と救いとにならなければならない。
一、人は誰しもが、内なる至福に導かれて生きるものである。
一、人が歩んでゆく人生の道すじで常に与えられている選択権。その自由なる選択によって人生が導かれてゆく。
一、自分の生き方は外から規制されたり、強制されたりするものでは決してない。内なるビジョンによってもたらされてゆくものである。
一、自己変革は、自己の心のなかの古い習慣を自然破壊させることによって初めて達成される。

7月
一、乞食を見て我々はどう思うだろうか。我々もまた心理的な乞食にならないよう努めねばならない。
一、心は巨大な思考・感情の蓄積の場、冷蔵庫のようなものである。ただ単にたくさん貯えているだけでは駄目である。よく整理して使わないと腐ってしまう。
一、世の権力者たちは、表面的には平和を語り、内では戦争の準備をしているのである。
一、不満とは、もっともっと多くを求める葛藤であり、満足とは、その葛藤が止んだ状態である。
一、真理さえも押しつけは他の人々の生きる自由を奪うことになる。
一、嫉妬とは、他の人たちに対しての妬みと解釈されているが、本来はありのままの自分を受け入れられずにいるその自分に対する不満である。
一、人は一人で生きることに怯えるが、本来人は一人であることを忘れてはいけない。

8月
一、我々人類はみな無意識のうちにお互いが妥協し納得し、世界の現実をつくり出している。だから誰もが被害者でもあり、誰もが加害者でもある。
一、自分が何になりたいかではなく、何をしたいのかが重要なことである。
一、自分の語る言葉に対して、常に自分が高揚し尊敬できる言葉を放っているか。
一、人類はみな経験する神々なのだ。
一、否定の中でも自己否定ほどひどいものはない。自分の内なる神を否定し、自分が神であることを認めないからである。
一、あなたが死ぬまで不幸で困難で悲運なのは、あなたが生涯、真実の自分を否定しつづけてきた結果である。(我即神也)。
一、人生は、未来にあって過去にはない。過去に犯した過ちは、これから創造するものにくらべれば、比較にならないほど価値がない。

9月
一、明るい未来を描きつづけ、この瞬間を生き切ること。
一、病気も事故も不幸も、自らの意識の歪みによって生じるものだ。
一、すべての出来事は、起こるべくして起こっている。被害者もいないし、加害者もいない。
一、あなたがしている神行によって、今日もまた人類の一人が真理に導かれた。
一、あなたは、神を経験する神なのだ。
一、あなたは今、本来の自分自身を否定してはいないか?
一、何事においても「すべき」「すべきではない」などと考えること自体が間違っている。自分が本当に心からしたいことをすればよいのである。

10月
一、部屋の中の不用品をキチンとかたづけられない人は、自分の心の中の不用品もかたづけられない。
一、自分が発した言葉はめぐりめぐって牢獄のように自らを苦しめる。
一、誰しもが自らの個性を尊重すべきだ。
一、純粋で素直で無邪気な子供の心を再び取り戻すために、我々が捨て去るべき粗大ゴミ……見栄、執着、欲望。
一、足りない、足りない、足りないと、一生足りないことを追い求めるべきではなく、すでに足ることに気づいてゆくことこそ大事なり。
一、いかなる状況に立たされていようと、決して自分の未来は絶望的だと思ってはならないし、まして口がさけても言うべきではない。
一、違う結果を期待するなら、同じ習慣を何度も繰り返さないことだ。

11月
一、幸福は、自分が幸福だと思えば幸福なのである。不幸は、自分が不幸だと思うから不幸なのである。
一、語る言葉の一つ一つを、思慮深くあらゆる角度から熟慮し話す。
一、意味のあることのみを話し、意味のない行為は避ける。
一、あらゆる存在を認め、受け入れられるほどの寛大さを培うことが必要。
一、あらゆる事物、現象の中に、肯定できるものを見出してゆく。
一、目に映る、耳に聴こえるあらゆる現象の中から、美しいもの、心地よいもの、勇気あふれるものだけを選択するよう努めること。
一、死ぬその瞬間まで、絶えず自らを磨き高め上げる努力を惜しまぬこと。

12月
一、真の教育とは、霊的真理を子供に教え導くことである。
一、人間は肉体的感覚(快楽、物質、権力)が満たされただけでは決して真の幸福を感じ得ない。あくまでも魂や霊的レベルの真理で満たされなければ、真の幸福はない。
一、人類は、今ほど不確かで暗澹とした危険の中に住している時はない。この危険な状況が破壊につながらないのは、人類の中にあって日夜世界平和の祈りを祈るほんのひとにぎりの神人たちの存在によるのである。
一、肉体が死んでも、人間の本質である霊は一度だって死んだことはない。永遠に生さつづけているのである。
一、間違った信仰は、自分自身はもとより人類に対しても害になるだけである。
一、人間の持っている理性などというものが、いかに頼りなく無力でちっぽけなものであるかということを人類は思い知らなくてはならない。霊性・神性を開発することによってこそ、無限なる確信に至る。
一、食物の食べすぎは、肉体によくないのと同じように、知識の食べすぎは、精神によくない。内なる無限なる直観力をますます閉ざしていってしまう。

1月
一、言葉は単なる物事を描写する道具ではない。言葉は現実を生み出す力そのものである。
一、人はみな自分が思っただけの大ささで生きている。
一、一人一人は異なるが、それでいてみなが完全なのだ。
一、答えはいつも自分の中にある。
一、自分にとって叶わない望みなど決して無い。叶わないという想念が叶わなくしているだけのことだ。
一、信念というその驚くべさ偉力。
一、神人は一人一人が灯台であり、世界人類にその光をそそぎ、真理への道を示し導いているのである。

2月
一、体験は、頭の学びを全身の学びにしてくれる。
一、究極の真理はすでに降ろされた。あとは人類一人一人の自由意志に任されている。
一、今年こそ、自分のやり残したことを為す一番よい時だ。
一、何かを創造する時、最初にすべきことは、自分の強い意志決定である。
一、自分に意見があるように、相手にも意見がある。
一、人から促されずに自分から何かをしたいと思う時、それこそが直観というものである。
一、自分に対して誇りを持てる生き方、それこそ″我即神也″を顕現してゆくことのみ。

3月
一、神人と呼ばれる人は、みな究極の真理の伝達者である。
一、神人と称せられる人は、盲目的な服従や愚かな献身を嫌うものである。
一、二十一世紀、幸福と成功は物の所有や物質的利益によるものではないということが証明される。
一、今なお人類は、戦争を恐怖し心配するあまり、さらなる核戦争のためのぞっとさせられる準備をする未だ愚かな低次元的存在である。
一、人類は原因には対処せずに、常に結末にこだわって生きているからこそ、何事も根本解決が出来ないままなのである。
一、古い方法は新しい方法に道を譲らなければならない。
一、歩く時は、目線を下げず、常に上を見て歩くことだ。



平成15年度

4月
一、心がくつろげないと、肉体もまたくつろげない。
心が喜ばないと、身体もまた快感をともなわない。
一、人間はいくつになっても、自主的、創造的に生きるべきである。
一、自らが自らによい影響を及ぼしてゆく。これが人生のコツ。
一、今日もまた憂鬱だと考えこまずに、ウソでもよいから積極的に光明の言葉を一つ語ってみよ。その一言によって心は晴れてゆく。
一、いま現在がいかなる状況にあろうとも、今日は昨日よりも確実によいのである。
一、自分の心に確固たる信念があれば、決して迷いは生じない。
一、真理を探求するものは、究極的に我即神也、人類即神也に至る。

5月
一、いかなる被害も、自らがその侵入を許す扉を不用意に無意識に開けているのである。
一、生命エネルギーは、自らの思考に従う。
一、病気に抵抗することは、病気にエネルギーを与えるだけである。
一、人類は各々、自らが発する光(オーラ)の輝きによって評価される。
一、間違った行ないをしているという感覚、罪悪感などを早い時期から子供の内面に植
えつけてはならない。子供の罪など全く大したことはない。
一、重要なのは祈ることである。結果は必然であり、祈りに比例する。
一、無駄な言葉、無意味な言葉と利己的な言葉を語ることを慎もう。

6月
一、なぜ人は、自らの過ちを素直に認められないのであろうか。誰もその責任を決してまぬがれることは出来ないものであるのに。
一、無私なる愛、崇高なる行為、神聖なる姿は、その人の厳しい努力と精進と自らの内に成しとげた真理の探求の結果である。
一、否定的言葉の使用によって、そこに限定が生まれ、現実が大きくはばまれる。
一、内なる力が意識的に強められた時、善を行なうカは倍増する。
一、多くの人類の否定的感情想念が結晶化される前に、神人たちの祈り、印は、それを拡散させている。
一、肉体への誕生は、魂を不自由なる牢獄に投げ入れることであり、肉体の死は、魂の輝かしい解放への第一歩である。
一、心配とは、自分に関する個人的なことに基づいて生じる、冷静な判断の欠如した状態である。

7月
一、他人を裁くことは、自らが裁かれることである。
一、人類はみな一人残らず、自らがつくった原因の結果を体験しなくてはならない。
一、暴力行為を行なう人間は、その時、または過去においてひどく傷ついているということである。
一、人類はみな、自分が不死の存在であり、永遠なる神であり、無限なるものの一部であるということを知る時が必ず来る。
一、人を裁いた時、その瞬間自分自身に対しネガティブなカルマを創造することになる。
一、真理の道を見出すことを可能にした人は、次にはその人自身がその真理の道となる。
一、あなた自身で意識的に経験したことのみが重要なのである。

8月
一、宗教をもたなくても祈ることは可能であり、祈らなくても宗教をもつことが出来る。
一、祈りとは「あるがまま」であるべきものである。
一、物事はすべて心にもとづき、心を主とし、心より成り立っている。
一、真の祈りは、聖堂も、教会も、司祭も、牧師も必要としない。
一、報復という憎しみを克服できたならば、敵そのものが消滅する。
一、あなたは果てしなく広い宇宙の中に存在しているのではない。本来、果てしなく広い宇宙があなたの中に存在しているのである。---我即神也。
一、あなたは自分が受けるに値するものだけを得る。

9月
一、どの時のどの体験もみな、今の自分に大切な出来事なのである。
一、人類は皆、自分から恐怖や不安を手離せなくしてしまっている。
一、神は、我々自身でもある。
一、悲嘆と苦悩は、人間が自ら創り出したものである。
一、すべての絶望、すべての憎悪、すべての競争の原因は、人類が物質的なものに欲求を集中させた結果である。
一、これから起きることすべてに意味がある。
一、個々のいかなる消えてゆく姿をも価値あるものと見られるようになれば、真理の人である。

10月
一、私のミッションは、ほとばしる愛と熱意をもって、究極の真理を世界中の神縁探き人々に伝えつづけてゆくことのみ。
一、悔いのみに生きるは愚かなり。その段階からは何も始まらない。それに気づくことから第一歩が始まる。
一、生きていること自体は善でも悪でもない。
尊い生命体の存在そのものなり。想念を通しての行為の結果が善となり悪となる。
一、自らの内なる進化創造こそ、人類一人一人に託された天命である。
一、悪は常に善の裏面でしか存在できない。
一、本来、何事においても破壊が起こったならば、次のステップは滅亡ではなく解放である。
一、神人と称される人々は、前世において世俗的な成功を博し、人々から尊敬され、かつまた、宗教面においても深い祈りにより多くの人々を救済し、
崇拝された魂が最終的に肉体界へ誕生した人々である。

11月
一、いかなる困難の中にあろうとも、最初に打ち勝つべさは自己そのものであって、困難ではない。
一、自分の願望が成就しないのは、未だ自らの言動行為が真理の法則と一致していないからである。
一、自分の心を真理にそって自由自在に扱えるようになれば大したものである。
一、真理のみを語る神人になれるよう、日々努力が必要。
一、神人たるもの、いかなる事情があろうとも、すべてを赦さなければならない。
一、自己処罰からは、いかなる明るい兆しも生まれはしない。
一、禍を恐れなければ、禍は訪れない。

12月
一、私は自らにひれ伏すー我即神也。
一、まさに今、この瞬間、自分の未来が創造されつつある。
一、あらゆるものの背後には、必ず隠された理由が存在する。決して偶然はない。
一、人は誰でも偉大なる可能性を秘めて生かされている。
一、人はありのままの自分をまず知ることが大事である。
一、幸福を疑うから不幸を手にするのだ。
一、情念は人をも自分をも縛りつける。

1月
一、熱をこめて不死を語るものは、そのウラで死を恐れている。
一、我々は人を量った秤で量り返される。
一、偽善者は、自分の放った言葉に裁かれる。
一、肉体の苦痛は、心によって克服できる。心の苦痛は、我即神也の絶対なる真理によって癒される。
一、すべては自分自身にゆだねられている。
一、偽りの中に生きるものは、より偽物になってゆく。
一、調和を害するもの、不安、焦躁を引き起こすものを心の中に持ちこむことは、限りなく避けねばならない。

2月
一、不満という虫は、すべてを食いつくしてゆく。今、現にあるものさえも……。
一、憎しみ、邪気、冷酷、無慈悲は毒素そのものである。
一、人は本来あるものありのままで満足し、しかもそれで充分なはずである。
一、人は常に必要以上のものを手にしようとつづけ、苦しみあえいでいる。
一、あなたの欲望が、あなたの不幸な人生の青写真である。
一、自分を尊敬しない人は、人からも尊敬されはしない。
一、ウソをつき、ウソの中で生きる者は、ウソに取り囲まれ、とうとう自分の内なる真実そのものが失われてゆく。

3月
一、どうしたら自分は、この「自分」から自由になれるのか。それは「自分が」「自分は」「自分の」「自分を」「自分に」という自我を捨て去ることのみ。
一、世間にいかなる妥協もしてはならない。自らの権能の力を一片たりとも譲りわたしてはならない。
一、我々は何と多くの真理を複雑化してしまっていることか。
一、我々は究極の真理″我即神也”を信じている。が、しかし、その信念をどれだけ言葉や思い、行為に表わしているであろうか。
一、信頼は知識を通しては決して生まれない。信頼は体験から生まれる。
一、否定的感情想念は、自らの生命エネルギーを吸いとりながら放たれてゆく。それにょって、自らの肉体は衰弱し、体力は衰えてゆく。
一、それが誰であれ、何であれ、今この瞬間、無限なる可能性に取り囲まれている。



平成16年度

4月
一、我々は、よくも悪くも自分が自分自身を育てている。
一、人は無限なる喜びと至福の光を自らの心でさえぎっている。
一、疑いや恐れは、いかなることの達成にも役立たない。
一、自らの未来に理想や夢、目的を持たないことの弊害はあまりにも大きい。
一、あなたが探しているものは、真のあなたである。
一、どれほどの時間が、自我のために費やされてきたことか。
一、果たしてあなたは、自分に与えられた生命に値することを為しているだろうか。

5月
一、人間は誰でも不屈の魂を持っているものだ。
一、幸せになる秘訣はすでにあなた自身が知っている。
一、闇を恐れることはない。闇を照らす光になりなさい。
一、現在という時を決して無駄にしてはならない。自らの創造のために使うべきだ。
一、いかなることも、いかなるものも、本来それ自体には何の制約も限界もない。自らの意識が勝手にそう決めつけているだけだ。
一、自分自身に対して喜びを与え、幸せを与え、感謝を与えることは、同時に相手にも喜び、幸せ、感謝を与えていることになる。
一、毎日、真理を求め、真理を語り、真理に生きることだ。

6月
一、
一、
一、
一、
一、
一、
一、

7月
一、あなた以外に、あなたを真理に目覚めさせる人はいない。
一、病気になって初めて、人は自らの人生の在り方に気づく。
一、人は、過去の記憶や抑圧や、また未来の希望や夢に生きるのではなく、今、現に生かされているこの一瞬一瞬に生きるべきである。
一、あなたが人々から尊敬を得ようとしている時、あなたはすでに自らの真実の生き方を見失っている。
一、時の運も、素晴らしき人との出会いも、自らがそれ相応の意識レベルに達した時、それは生じる。
一、あなたの人生は、常にあなたが主役である。                                       
一、いかなる人の上にも、天からちりばめる如くチャンスが降り注いでいる。それを掴めるか否かは、日頃どれだけ真理を実践しているかに比例する。

8月
一、
一、
一、
一、
一、
一、
一、

9月
一、あなたは、自分自身をいつでも自分の思う通りに創り変えることが出来るカを有している。
一、人を赦す時、実際に赦しているのは自分自身である。
一、自分が自分自身と調和した時、すべてのことが成就してゆく。
一、人はみな、自らの状況や環境の原因を、自らの想念によって創り出しているのである。
一、今の環境に反抗するのをやめ、自らに内在せる可能性を引き出してゆくことである。
一、宇宙、地球、人類、個を支配する原理は、真理の法則である。
一、あなたの人生は、自らの心を映し出す万華鏡である。

10月
一、人はみな、自らのマイナス思考によって、運命の扉を閉ざしてしまっている。
一、人間には本来、限界などない。自分が限界だと思った時、それは限界となる。
一、どこまでも、どこまでも、自らの信念を強く貫き通した時、突如、自らのもとに天運が飛び込んでくる。
一、選択、再選択、再々選択……。自らの希望や夢、そして目的に向かって、繰り返し、繰り返し、同じ選択をしつづけると、ついに成らざるものも成る。
一、自らに決して限界を許すな。
一、人生に行き詰まるのは、どこかで本末転倒しているからだ。
一、なりたい自分になりつづけてゆくことこそ、人生だ。

11月
一、
一、
一、
一、
一、
一、
一、

12月
一、人は何であれ、自分について思い込んだ通りのものになる。
一、自我が強いほど苦悩も大きい。
一、自分がそれを欲したからこそ、それは起こったのだ。
一、無私の人を苦しませるのは不可能だ。
一、自己中心的な人を幸せにすることも不可能だ。
一、真理の探求こそが人生そのものだ。
一、究極の自分は、国にも人種にも民族にも宗教にも、どこにも属しているものではない。個の自分だ。神なる自分だ。我即神也そのものなのだ。

1月
一、
一、
一、
一、
一、
一、
一、

2月
一、明日の不確かさは、今日の生き方ににて即、変わる。
一、自らの思考と行動を占いに託することは、低次元意識の為せるわざである。
一、いかに優秀な頭脳といえども、あくまでも精神の道具である。
一、意志は、すべての行為の源である。
一、運命とは信念の投影である。信念の通りに運命は形づくられてゆく。
一、子供も親も、他者の評価のみを気にして生きることの愚かしさに、心して気づかねばならない。
一、真の教育とは、いかなる困難の中にあっても、決して逃避せず、すべてを受容し、困難を跳ね返す力、そして新たなものを創造してゆく力を養うことである。

3月
一、
一、
一、
一、
一、
一、
一、

抜粋:月刊「白光」より