シリーズ・インフィニット・ワーズの詩(39)

幸せは常にあなたの側にある


               西園寺昌美

何故人は ありのままの自分に満足できないのか
何故人は ありのままの自分に対して不満に思うのか
何故人は ありのままの自分とは違うものになりたいのか
それもすべては自分に何一つ自信がないからなのであろう

人は誰もみな たえず幸せを求めている
人は誰もみな 絶えまない変化によって翻弄されつづけている
人は誰もみな 人のことが気にかかって仕方がないのだ
そして、ありのままの自分を見ることを恐れているのだ
そのうえ人は誰もみな 自分のことは何も判ってはいない

人はみな在るがままの自分、そのままの自分、嫌な自分を素直に受け入れて
ただ黙って静かに自分の心をみつめることが出来ないのだ
が、ひとたび
自分の心の中に静かに意識を傾けてみると
何故、自分が反抗し、痛み傷つき残酷になるのか
わかってくるのである
それはすべて、自分の心の中の一部分なのだ
自分を理解できないままの自分がそこに存在しているだけなのだ
自分をそんなに恐れることはない、悲観することもない
人間として当然のことなのだ
すべては消えてゆく姿だ、プロセスだ

人はみな
本来の自分は無邪気であったり善良であったり、親切であったり親切であったりするものだ
時には笑ったり喜んだり、遊んだり語り合ったりすることが大好きなのだ
自分に何も強いず固定せず、集中しようと努力せず
ごく自然のままに生きていれば、それで幸せなのだ
なぜそんなに焦るのだ
なぜそんなに死に急ぐのだ
どんな生き方の中にも自らの聖なる洞察の深みがあるのである
心はいつも揺れ動くことなく、静かであればよいのである
静かな心からは何の騒ぎも不安も、恐れも起こり得ないからである

老いても若くても、未熟であっても高齢であっても
みな幸せになりたいのである、幸せを求めるがゆえの苦悩なのである
だがしかし幸せは、常にあなたの側にあるものなのだ
幸せになとろうと努力していない時、幸せは今そこにあなたの側にあるのだ
人はみな誰かを、何かを恐れている限り、幸せはありえない
本当は何も恐れていなければ、常に幸せは自分と共にあるのだ
それが判れば生きることは苦ではない
だがしかし多くの人々は、自らが幸せを求めつつ苦悩の種をまきつづけている
何ともはや生とは皮肉なものである
だがしかし真理に目覚めた者は、過去の生き方に属しておらず
過去の権威を受け入れようともしない、全く次元を超えた生き方を貫いている
自らの選択、責任において
自らの人生をきわめてゆく神人たちだ
我即神也、人類即神也を顕現させるために