シリーズ・インフィニット・ワーズの詩(31)
今の私は
西園寺昌美
かつての私は、世の中の不条理に対し、不平等に対し、対立や差別に対し
憤り、悲しみ、憂いに満ちていた
だが今の私は、世界の状況がいかようであれ
悩むことも悲しむことも恐れることも何もない
すべてを受容し、それに流されることすらない
自らの意識は、ただあるがまま
世界平和を祈り、人類即神也の印を組むのみ
いつも今この瞬間に生さている
今の私は自分の思考、感情を現実に、未来に投影しない
私の中にあるのは人類即神也その一点のみ、他には何もない
世界の惨劇を見るにつれ
私は怒りに取り囲まれているのであるし
悲しみや復讐心に取り囲まれているのである
だが私自身が怒ることはもう決してない
常に怒りの波、悲しみの波、復讐の波がまわりにやってきて自分を取り囲む
だが自分自身はその怒りそのものではない
自分の内に自分の怒りはない
故に私のまわりを取り囲む怒りは私に対して何の力も発揮できない
怒りは私に対しては無力になる
私に対して何の影響力もない
怒りはそのまま来ては去ってゆく
私はただその怒りに対し、赦しと愛と癒しと慈しみを与え光に浄める
私が怒りや悲しみ、恐怖に真剣に取り組み
深刻になったらたちまちその波に同調したことになる
そうしたならば私の役割、天命は完うされない
普段の私が、何事が起ろうと常に明るく陽気なのは
いかなる出来事、状況、境遇においても
決してそれ自体に同化していないからである
私は常に我即神也、人類即神也
究極の真理に立って物事を判断し思考し行動している
私の心の中には何もない
ただただ五井先生に、瀬木神に、法友神に感謝する心のみ
わが守護霊様、守護神様に感謝を捧げるのみ
私の心は空っぽだ
その空っぽの中に、我即神也、光明思想のみが広がってゆく
私の心は無邪気で素直で純粋で明るいだけだ
かつまた、私の心は自らを創造してゆく
人々が崇拝する仏像を創造したのは人々の心だ
組織的な宗教や無数の信仰を創造したのも人々の心だ
心には偉大な力が存在する
心は人々が思うこと、考えることをつくり出してゆく
神人の心は神の心だ
神の心は神の姿を創造してゆく
私のまわりがいかなる否定的感情に取り囲まれようと
私の心は全く無傷だ、無垢だ、無欲だ、無私だ
ただあるのは人類即神也のみ
私は日々瞬々神の姿を自らの心で創造してゆく
そして人類即神也を常に私の心が願い望み祈りつづけている
その私の心の力で、私は次々と新しき神人を今生につくりあげてゆく
ああ何とわが心は澄み浄まっているのか
わが心がいとしい、そしてなつかしい
宇宙神と全く一つに貫かれているわが心
この生命が存在する限り
私は日々瞬々私の心で人類即神也そのものの神人を
今生に次々と誕生させてゆくのだ
私のまわりは神の心で満たされている
光のみで輝いている、歓喜につつまれている、神人に囲まれて
