シリーズ・インフィニット・ワーズの詩(9)
無限なる赦し
西園寺昌美
一つの聖地をめぐつて争いが絶えない
ユダヤ教 キリスト教 イスラム教
聖地エルサレムはそれぞれの宗教にとって
確かにかけがえのない聖なる地なのであろう
だがその聖地をめぐって人々が代々争い合うことは
イエスもマホメットもモーゼも決して喜びはしない
それは偶像崇拝以外の何ものでもないからだ
本来 イエスもマホメットもモーゼも偶像崇拝は説かなかった
我々が祈りを捧げなければならない唯一の神は
我々一人一人に内在する神である
偶像崇拝故に人類の心は自由を失った
人類の心は依存心をきわめ 自らの権能の力を失った
聖地にも行けず 聖像を拝みにゆけない人々は
さぞや悲しいに違いない さぞや悔しいに違いない
そして自分の無力さを嘆くに違いない 他を羨むに違いない
そこにまた聖地をめぐって新たな対立が芽生える
聖地は確かに記念すべき尊き地であろう
だがしかし そこにはすでに聖者たちはいない
人類の想いのみがカルマとなって止まっているだけだ
いつまでも愚かしき行為を続けていてはならない
なまじ聖地があるために
人類は争い合っているのだ
人類は一人一人の心の内に聖地を築いてゆくべきだ
外にある聖地を求めるのではなく
内なる聖地を求めて
それが判れば 今さら聖地にこだわることはない
そして聖地をめぐつての人種 民族 宗教の対立はなくなる
ああ何と尊いことか
ああ何と崇高なことか
五井先生のみ教えを知る我々は
聖地をめぐって争うことは全くない
聖ヶ丘の聖地さえも地上に片鱗さえも残さず
すべて天に返されてしまった
その代わり一人一人の心の中に
汚れなき神聖なる聖地が築かれていった
我即神也、人類即神也
これこそ究極の聖地
人はいつ どこで いかなる事が起きようとも
今さら慌てふためいて聖地を訪れる必要はない
偶像を崇拝するために出かける必要もない
心静かに自らの内に在る
聖地におもむき
自らの神に祈りを捧げ
自らを究極の高みへと導いてゆくのである
その聖地は五井先生と共にある場
五井先生と共に築き上げた場
そして人類の最後に行きつく場
永遠の真理そのもののわが聖地である
富士聖地は聖地と呼ばれているけれど
これは宇宙究極の光が降り注がれる場
地球のエネルギーが溢れ出る場
宇宙神が降り立たれる場
宇宙人が訪れる場であって
国境 人種 民族 宗教 主義主張を超えて
誰の所有物でもない
人類すべての人々の聖なる場である
この富士聖地は
訪れなくても
思いを馳せるだけで
世界平和の祈りを祈るだけで
そして我即神也 人類即神也を宣言するだけで
時空間を超えて 肉体を超えて
魂はこの富士聖地に在る
そして世界平和の祈りを 我即神也・人類即神也の印を
法友たちと共に行なっているのである
この世はすべて波動の世界であるが故に
世界各国各地であらゆる人々が
心を一つに世界平和を祈れるのである
そして訪れたい人々は
皆 喜んで訪れるのである
富士聖地よ すべての聖地の迷い 過ち 汚れを一掃し
無限なる赦しでもって洗い浄め
無限なる愛でもってすべてを包み込み
すべての規制を取り除き
全人類に平安を与えよ
万民のために自由に開け放たれし
輝かしき富士聖地よ
この富士聖地こそ二十一世紀、世界に名をとどろかす
地球上における真なる聖地であることが刻印されている
宇宙神そして宇宙の星々と人類が交流する
唯一つの聖地である
