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平成13年度

自由

『平成13年4月号』より

五井先生のことば
「本当の自由と宗教」 本当の自由というのは、肉体の自由ではなくて、いのちの自由なのです。
肉体が縛られていても、いのちが自然に自由に動いているという、そういう形へもってゆくのが、宗教なのです。(空即是色)
「知らなければならないこと」 自己の生命が自由自在になるためには、自己の本体が神と全く一つのものであることを知らなければなりません。
自己と神との真実の関係を知らなければ、自由自在心になるわけにはゆきません。(神は沈黙していない)
「人間に大切なこと」 人間は清貧に甘んじる、という気持ちが大切だ。
と同時に、金殿玉楼にも悠々と住めるという心をもつことも大切だ。(如是我聞・正)
「把われた分だけ」 何事にも把われないこと、把われたらその分だけ不自由になる。(如是我聞・続々)
「神と一体になる時」 消えてゆくことに把われなくなった時、神と一体にある。(如是我聞・正)
「本心は自由自在」 なんで(人間が)自由かというと、本心がそのまま自由自在である、という意味からなのです。
今の自由主義というのは、業想念の自分のやりたい放題をやることが自由だと思っているけれど、それは間違いです。(自由解脱への道)
「従わせるということは」 相手を自分の意志に従わせるということは、それが例えどんないいことであっても、それは神のみ心ではないんです。(責めてはいけません)


昌美先生のことば
「自由意志にかかっている」 人類を滅ぼすのも救うのも、我々一人一人の自由意志にかかっている。(真理ー苦悩の終焉)
「信念さえあれば」 人間本来神の子であるという信念さえあれば、また、人間一人ひとりの本当の自由性を尊重するならば、自由を規制するという行為はありえません。
束縛はないのです。(自然体で生きよう)
「しがらみの中に生きるには」 これをしなければ不義理になる、あの人の顔を立てなければと、もろもろのしがらみに拘束され不自由に生きることは、自己満足にほかならないことなのです。(自己完成)
「たとえその言葉が」 たとえその言葉が善なる心、愛の心から出ているものであっても、決して人を縛るものであってはならない。
人の自由を狭めるものであってなならない。(1996年白光誌1月号)
「自由を奪われると」 自由が奪われ、束縛されると、人の心は歪んできます。
歪んだ心から生まれるものは屈折した欲望です。(自然体で生きよう)
「自由意志の尊さ」 本来、一人一人の自由意志は尊い。
それは気高く、崇高である。(真理ー苦悩の終焉)
「あなた本来のものではない」 争いも嫉妬も恨みもすべては消えてゆく姿であって、あなた本来のものではないのです。
そんな一瞬の出来事のためにあなたの心を奪われ、自由を束縛され、喜びを略奪され、幸福を失うのはつまらない。(我即神也)
「失敗はすでに消え去った」 過去の失敗は今のあなたのものではない。
もうすでに消え去ったのである。
いつまでも古い考えに引きずられる必要はない。(日々の指針)
「我々の人生は」 神が我々に与え給えし自由を創造力、我々の人生はこの創造力を駆使して自らの自由なる運命を築いてゆくものです。




勇気

『平成13年5月号』より

五井先生のことば
「勇気の湧いてくる方法T」 天なる神なる自分が肉体の自分を動かしているのだ、つねに神様がやって下さる、と思いつづけていると、自然と勇気がわいてくる。(如是我聞・続)
「勇気の湧いてくる方法U」 勇気ある人間になりたいと思ったら、つねに勇気を私に与え給え、と守護霊守護神に祈りつづけなさい。
そうすれば勇気が出るものです。(如是我聞・続)
「勇気ある人」 いつも祈っていれば、ちゃんと判断がつきます。
ここはやるべきか、やらざるべきか。
それがハッキリ判断できる人は、やっぱり勇気のある人です。(白光誌2000年1月号)
「真実の平和をつくるためには」 真実の平和をつくり出すためには、武器をもって戦う以上の勇気がいるものであります。(本もの贋もの)
「ビリと一等を…」 真実の勇気というのは人々にわからないことが多い。
長距離競争をしていて、ビリと一等とを見まちがえてしまうことがある。
それと同じようなものだ。(如是我聞)
「真の勇気」 真の勇気ということは、非常に忍耐のいることで、愛は忍耐なりと同じように、極力相手との争いをさけてゆくことが大事なのです。
しかしそう思ってばかりいたら、弱々しい力のない行動になってしまいそうですから、一歩普通人より前に進んでしまって、神様のみ心に世界平和の祈り言をもって飛びこんでいる日常生活によって、忍耐力をも超えてしまうのです。(真の幸福)
「勇気とは」 勇気とはあらゆる業想念に打ちかつことである。(如是我聞)


昌美先生のことば
「恐怖心をなくすには」 恐怖心をなくすにはどうしたらよいか。
アメリカの詩人エマーソンはこう答えている。
「あなたが一番恐れていることをしなさい」と。
確かにズバリそのもので、逃げたり避けたりしていたのでは、いつまでたってもその恐怖心をこえることは出来ない。
勇気をもって突き進んでゆくのである。
すると思っていたよりも、ずっと軽くすんでしまうものである。(日々の指針)
「勇気をもって」 何かをする時、自分を躊躇させようとする劣等感が脳裏をかすめたら、それを追い払って、勇気をもって逃げ出さないで立ち向かっていくことです。(中略)
何回も挑戦するうちに、それが武器になり、不安や恐怖心がなくなり、人と自然体で付き合えるだけの強い自分に変わっていくのであります。(教育の原点)
「勇気を出せば」 本物の自分、真理そのものの自分になるためには、自分の弱点、欠点、汚点、恥点(無限なる光明!)を見つめる勇気こそ大切であり、それよりも本来の自分と出会える絶好のチャンスなのです。(白光誌1999年4月号)
「勇気が出なかったばかりに」 たえず目の前の危険や困難を恐れて、小手先の調整ばかり行っている人は、決して大物にはなれない。
たった一回の勇気が出せなかったばかりに、一生とり返しのつかないつまらない人生を送っている人達を、私はいやという程みてきている。
そればかりか、そういう人達は必ずといっていい程、不平不満の多い人生を送っている。
一生に一度は思い切り飛びこんで、全力を尽して事にあたることが必要である。(日々の指針)
「恐れる代わりに受け入れる」 何かを恐れれば、その何かは必ず、恐怖の対象として自分に引きつけられてくる。
恐れる代わりに受け入れることだ。
受け入れれば、その何かは消えてしまう。(1999年9月号)
「謝ることができる人」 謝ることができる人は、勇気ある人です。(自然体で生きよう)




真の自己

『平成13年6月号』より

昌美先生のことば
「悟った瞬間、気づくこと」 「我即神也」と悟ったその瞬間、すべてのものが神そのものであるということに気づくのである。
それまでと違い、眼にみえるもの、聞こえる音など、生きとし生けるものすべてに神の働きを感ずるようになるのである。(白光誌1995年3月号)
「私達の身体の中で」 私達の身体の中で、地球が脈打っている。
そして、生きとし生けるものすべてが私達と呼吸を一つに合わせている。
私達は宇宙とまったく一つにつながっているのだ。(白光誌1995年12月号)
「自己の真我を知るならば」 我々がもし自己の真我を知るならば、自分の中に潜んでいる可能性、自分の隠された力、自分の中に眠っている能力を発揮せざるを得ない。(もっともっと、幸せに)
「真の自己表現」 自己を知ることこそ、人生の鍵である。
自分を理解し、自分を信頼し、自分を赦しつづけてゆく行為こそ、真の自己表現である。(白光誌1994年12月号)
「この真理がわかった時」 本当の自分とは、神を求め五井先生のみ教えを信じ、”世界人類が平和でありますように”と祈れる、それが真実の自分なのです。
この真理がわかった時、皆様は世界を、宇宙を自分のものにすることができるのです。(自己完成)
「神そのものの自分とは」 本来、人間の心は善そのものです。
自分の中には、本当に太陽のようにすべてを照らし出している、神そのものの本心の自分がいます。(自然体で生きよう)
「円の中心」 円の中心点たれ。
円の中心は前後、左右、縦横のどんな分野にも属さない。
善悪の二元対立をも超えている。(白光誌1994年1月号)


五井先生のことば
「生命の個性のひびきをもって」 人間は生き通しの生命なのである。
生命の個性のひびきをもって、永遠に輝き生きつづけるのである。(如是我聞・続)
「私たちは兄弟姉妹」 私たち人類の一人一人は、神の生命に対して平等な兄弟姉妹であります。(純朴の心)
「水泡の自分、真の自分」 自分自分と思っているものは、単なる想いに過ぎないのである。
水泡の如くあらわれては消えてゆくものである。
真の自分とは、内奥で光り輝いているものである。
この真の自分を把握し、自覚できる時、人は真に幸福になれる。(如是我聞・続)
「だんだんわかってきている」 みんな肉体を持っている。
肉体の波に惑わされてわかなないけれども、もう永遠に光り輝いているものなのですよ。
それがだんだんとわかってきているわけです。
頭でもわかってくることは大きいことですよ。
それはやがて実際にわかることですよね。(魂が大きく開く時)
「自分は一人ではない」 ここに一個の肉体としてあると自分は一人だと思う。
しかし、自己は一人ではなく、祖先の代表としてここに生まれているのであり、祖先の悲願が結集して自分となって生きているのである。(如是我聞・続)
「私の中にある」 目を開いていれば松が見える。
雲も見えるし風も感じる。
しかし、私にとっては松も雲も海も人も離れて存在しているものではない。
みな私の中にあるものである。(如是我聞・続)
「人間と永遠の生命」 人間というと、この固った肉体を考えるけれどそうではない。
永遠の生命の一筋がこの肉体の姿に現れているにすぎない。
永遠の生命が或る時は肉体界に現れて肉体となり、或る時は神界に還って本心を輝かすのである。
人間とは永遠の生命の一つの流れであり、肉体はその顕現の一つの場所であり、器なのである。(如是我聞・続)
「真に悟った人の状態とは」 肉体の中に、はっきりと自分の意識がありながら、神霊の体の自分として働いている、そういう状態が大悟徹底した人の状態なのです。(自らを信ぜよ)
「真の自分を見きわめれば」 正真正銘の自分を見きわめること。
そうすれば人にほめられて有頂天になることもなければ、人にけなされてくさることもない。
そんなことは自分とは一切関係なくなる。(如是我聞・続々)




祈り

『平成13年7月号』より

五井先生のことば
「生命が生きている姿が祈り」 たとえば山野に木が茂っています。
草が生えています。
木というものは、そのまま何ものにも煩わされないで、すくすくと延びています。
天まで届くかと思われる杉などたくさんあります。
そういうのは生命がそのまま生きている姿祈りの姿なのです。(高級霊は上機嫌)
「想念はひとまずそのままで」 祈りとは、人間が、いろいろの想念を、ひとまずそのままにしておいて、想念の起こる以前のもの、絶対なる宇宙の法則、神をただひたすら想いつづけることなのである。(心はいつも青空)
「世界平和の祈りの効用」 祈りには二つの効用がある。
一つは観の転換、想いを変えてしまう用。
一つは世界平和の祈り自身が光輝いているのだから、業想念がそのままそこで消えてしまうという用。
この二つが同時に行われている。(高級霊は上機嫌)
「大神様のみ心と人間側の願い」 ”世界人類は平和である、地球人類も平和である”と大神様のほうでは言っているわけです。
人間側から言えば”平和でありますように”と願うわけです。
”平和である””平和でありますように”と大神様のみ心と人間側の願いが一つになって、光り輝くわけですよ。(魂が大きく開く時)
「自分が浄まってゆくと同時に」 世界平和の祈りというのは、一人一人がちゃんと浄まってゆくと同時に、その祈りのひびきが大光明波動になって、世界中にふりまかれる。(心貧しき者は幸いなり)
「祈りはただのお願いではない」 祈りというとただのお願いだと思っているが、祈りというのは魂の浄めである、ということを知らない人が多い。(如是我聞・続)
「祈りとは」 祈りとは想いを神霊波動に昇華させることである。(如是我聞・正)


昌美先生のことば
「人々に安らぎを与えるもの」 祈りについて、もっと大切に思い、深く考えることだ。
あなたの祈る祈りは、人々に静けさと平安と愛と安らぎを与えている。(日々の指針)
「神の姿を現わし始めた人の祈り」 彼らは真摯なる心で真剣に神に祈りを捧げますが、それは必ず自らの肉体に神御自らの姿を顕現するための祈りか、世界人類の平和と幸せを祈る祈りなのです。
決して何かの代償を求めての祈りではないのです。(我即神也)
「祈りと印」 物事は待っていても何も起こらない。
自ら働きかけなければ、何も起きないのだ。
その働きかけの最たるものは、祈りと印だ。(白光誌1999年1月号)
「祈りを分裂させないこと」 絶対的な信を置くことによって、祈りは聞き届けられる。
半分信じ、半分疑っていたのでは、祈りが分裂してしまうから、達成できないのである。(日々の指針)
「記憶装置に働きかける祈り」 「消えてゆく姿で世界平和の祈り」を行じると、憎しみや嫉妬といった、呼び覚まされた過去の記憶はきれいに消えていって、「世界平和の祈りに変えた」「ああ素晴らしかった」という、新しい体験が記憶装置にとどめられることになります。(自然体で生きよう)
「喜怒哀楽を避けずに」 心のスクリーンに映し出される喜怒哀楽を避けてはならない。
静止して受容することだ。
そして一心に祈りに入れることだ。(白光誌1997年4月号)
「実行しなければ駄目」 消えてゆく姿で世界平和の祈り、これも一つの訓練です。
いくら知識としてわかっていても、実行しなければ駄目なのです。(自己完成)
「祈りの場をつくろう」 毎日毎日、同じ場で祈りを繰り返し、印を組みつづけてゆけば、その場の次元は高まり、家族の中で真理を知らない者や子ども達がその場を通過するだけで、次第に真理に目覚めるよう、自然に導かれてゆくのです。(次元上昇)



『平成13年8月号』より

五井先生のことば
「印というものは」 印を結ぶのにも、やはりいろいろな種類があるのです。
印というのは、ラジオのダイヤルを回して放送局の電波の波長に合わせるようなものです。(昭和38年8月のお話より)
「種々の印を結ぶわけ」 …種々の印を結ぶ。これは、相手を統一させるためと、こちらの光の波長を相手の波長に合わせるためである。(神と人間)


昌美先生のことば
「因果律を操作する」 三次元の世界にいながら、印を組むことによって四次元の世界を垣間見ることが出来るのです。
そして四次元の世界において自ら組む印によって因果律を操作することが出来るのです。(我即神也)
「我即神也の印は自分を救う」 本来人間は自分自身しか救うことは出来ないし、助けることが出来ない。
そのため「我即神也」の印なのです。(1995年白光誌4月号)
「人類即神也の印の意義」 人類即神也の印は、人類が輪廻転生から完全に解放され、救われるために、内的目覚め、真理への目覚めを促してゆくものであります。
またこの印は、人種、民族、宗教のカルマから人類を救済してゆくものです。
物質文明から精神文明への転換を促すものでもあります。
地球人類の人口調節の働きも成し遂げてゆくものです。
この地球上界に素晴らしい魂を降ろす働きをなすのです。
すべてのすべて、生きとし生けるものと交流するのが、人類即神也の印です。
人類を病原菌から救済します。



マンダラ

『平成13年9月号』より

昌美先生のことば
「地球世界感謝マンダラについて」 みんなが地球世界感謝マンダラを描いていたら、必ず自然はよみがえり、自然災害が起こることもなくなってゆくでしょう。(マンダラQ&A)
「光明思想マンダラについて」 光明思想マンダラを描くことによって、その理想とするものを宇宙根源の世界から引き出し、あなたの魂に浸透させ、あなたの人生に形として現してゆくことが出来るのです。(マンダラQ&A)
「宇宙神マンダラについて」 自らの意識を宇宙神マンダラの中心へと向かわせることにより、中心から離れてしまっていた意識を元に戻し、さらには自らを治療し、自らを癒し、自らを磨き高め上げて、運命を修正してゆくことが出来るのである。(1999年白光誌11月号)
「宇宙神マンダラの中心点」 宇宙神マンダラの中心こそ、常に我即神也そのもの、真理そのもの、神域そのものである。(1999年白光誌11月号)
「マンダラのメカニズム」 マンダラに流れ込んだ宇宙エネルギーは、いったんマンダラの中心に集まります。
そして中心に集まった宇宙エネルギーが、今度はマンダラ全体に流れ出し、巨大なエネルギーの磁場を作り出すのです。(マンダラQ&A)
「マンダラのある部屋」 宇宙神マンダラが掲げられている部屋は、常に室内いっぱい宇宙神から放たれる愛と光と幸せの波動で満たされている。(2000年白光誌4月号)
「完成したマンダラ」 完成したマンダラは、それからずっとこの物質の世界に、神の光を放ちつづけるのです。



美(芸術)

『平成13年10月号』より

五井先生のことば
「生命の働き」 赤児が愛らしく美しいのは、生命の動きがなんの作為もなく、そのまま外的行動に現れているからであり、少年少女や、若い女性の美しさは、生命の働きが、伸びゆく姿としてそれらの肉体に働いているからである。(心はいつも青空)
「神のいのちを」 善い音楽や美術が美しいのも、神のいのちを純粋にその曲にその画面にひびかせているからである。(心はいつも青空)
「花々の美」 花々の美は簡素にして自然に人心を美に同化せしめる。
人の世をうるおす大自然の愛の心の一つの現れである。(失望のない人生)
「心を堅くしないで」 神様神様と心を堅くしていないで、自由に美しさを満喫してもよいのである。(行雲流水)
「形の美、心の美」 美と調和が宗教の根本です。
形の美、心の美がともにわからないのでは、真の宗教信仰者とはいえない。(如是我聞・正)
「真善美の感受法」 神への感謝、万物への感謝、ありとしあらゆるものへの感謝の想念こそ、神の真実の美を感じ、人間を含めた大自然の中に、素晴らしく調和した最高度の美の展開があることを感じ得る。
誰にも出来る真善美の感受法なのである。(神への郷愁)
「雰囲気を美しくするには」 人格的雰囲気を香り高い、美しいものにするには、ひとすじに神につながり、神のみ心を自ずから、自己の想念や行為に現わし得るようにすることである。
神のみ心とは大調和であり、大愛である。(神への郷愁)


昌美先生のことば
「真の芸術とは」 真の芸術とは霊なる世界をこの世に知らしめる天命をになっている。(1997年白光誌7月号)
「真の芸術家」 芸術家は盲目の人に光を、聾唖者に音を伝えるようなものである。
光や音を見たことも感じたことも触れたこともない人々に、”光””音”そのものを魂に訴えて伝えようとするものである。(幸せになる秘訣)
「音楽について」 魂をゆさぶられるほどの音楽は神の世界に入ってゆく窓のようなものだ。
天からのメッセージである。(1997年白光誌8月号)
「ある画家の絵を見て」 そういえば、何かの本に、彼はこう書いておられた。
「私の絵は平和への祈りだと思っているのです」と。
なるほどそういえば、彼の絵はどの絵も本当に我々見る人の心をつねに純化し、高めあげ浄めてくれているようであった。
それは彼の心の中に、平和への祈りが鳴りひびいているからに相違ない。(いのち開く)
「何よりも美しいもの」 人間は誰しも、大自然の調和、美しさ、素晴らしさ、見事さに感動する。
だが、それよりももっともっと比較にならないほど偉大で完璧で美しいのは、人間(我即神也)そのものである。(1998年4月号)
「人間の美しさ」 人間の美しさを形成しているのは、善と慈愛である。(日々の指針)
「自分の中に芸術を」 芸術に触れる時間のあるなしにかかわらず、まず自分の中の神の芸術を作り上げていくことです。(自然体で生きよう)
「死への芸術@」 死は、今生における様々なる人生の段階の中で最高最深の芸術です。(1998年3月号)
「死への芸術A」 最後の芸術の真意とは、人々の心に内的感動を呼び起こさせることです。
人々に真理(死)について問いかけ、真理に導き、真理を引き出させるものです。(1998年3月号)




感謝

『平成13年11月号』より

昌美先生のことば
「祈りの原点」 生きる喜び、生きる幸せに感謝し、自然に手が合わさって合掌する、それが祈りなのです。(自己完成)
「最大の生き方」 日頃の小さな取るに足らない事柄に対して何にでも感謝でき、すべてを感謝で受け止めていく。
そういう愛の心をひびかせていく。
それが最大の生き方です。(光明思想に徹しよう)
「水に感謝」 私たち一人一人が水を感謝して使えば、絶対に水の災害は起こらないのです。
津波や豪雨は、人間の業想念が引き付けるのです。(かくて地球は蘇る)
「肉体に感謝」 もし胃や腰や心臓にいつも一生懸命働いてくれて有難うという感謝を捧げるならば、胃や腰や心臓から自然に、ああしたらよい、こうして下さいという直接のメッセージが届くはずである。(1997年白光誌3月号)
「自分に感謝」 自分自身に感謝を捧げよ。(1997年8月号)
「仕事の成果を上げる秘訣」 仕事に取りかかる前に、この仕事がうまくいきますように、この仕事を通して人類が平和へと転換されますように、自分がこの仕事に全エネルギーを注ぎますようにと、ただそれだけを祈る。
その仕事を与えられたことを神に感謝する。
その仕事に自分を使っていただけることに感謝する。
その感謝の心を植えつける祈りを捧げることによって、五分、十分と仕事にとりかかるのが遅れたとしても、先に始めた人以上の素晴らしい成果を、しかも短い時間で成し遂げることができるのです。(光明思想に徹しよう)


五井先生のことば
「忘れてはいけません」 幸せな時にも感謝を忘れるな。
なれてしまうと忘れがち。(如是我問・正)
「両親への感謝を」 私は、瞬々刻々、天地の恩恵に感謝するように、あまり親しくかえって感謝することを忘れてしまっている父母にも、日々感謝の心で接する必要があると思います。
感謝は光であり、愛の交流であるからです。(本もの贋もの)
「感謝の心は」 感謝の心はおまかせの心である。(如是我問・正)
「一人一人の感謝行」 世界人類が平和でありますように、という祈り言は人間一人一人の感謝行でもあり、人類の大願目達成の人類波動の調整ということにもなるのです。(本もの贋もの)
「守護霊に感謝を」 こちらが守護霊に感謝すれば、どれだけ守護霊の働きを楽にするかわからない。
それだけ自己の運命が早く改善されるのである。(天と地をつなぐ者)
「感謝の祈りと睡眠」 眠る前に感謝の心で世界平和の祈りを祈り、目ざめてすぐに世界平和の祈りを祈り、常に自己の想念行為を反省して悔い改め、すべての誤った想念を消えてゆく姿として、世界平和の祈りの日常生活をつづけてゆく時、あなたの睡眠はより進化の道を早め、あなたの安心立命の道がより早く切り開かれてゆくのであります。(神は沈黙していない)
「消えてゆく姿という言葉」 消えてゆく姿という言葉は、必ず神の大愛に感謝しながらいうべきで、愛念も感謝の念もなくして人にいって聞かせる言葉ではないのです。(霊的存在としての人間)
「感謝行の勧め」 神を知るために、生命を汚さぬために、何事にも感謝行をつづけるとよい。
感謝できぬ出来事、事柄は、自己の過去世の因縁の消えてゆく姿として、光明化してゆくことに、また感謝行をつづけるがよい。
そして世界の人類の平和を祈りつづけるのである。
それが自分の生命を生き生きとさせ、世界人類の生命の汚れを浄める最大の方法なのである。(失望のない人生)




赦し

『平成13年12月号』より

五井先生のことば
「自分をゆるせば」 自分を責めてはいけない。
責めては救われぬ。
自分をゆるせて、はじめて他人もゆるせる。(如是我聞・正)
「責めてはいけません」 宗教を信仰している人は、人を決して責めるべきではない。
大きな広い心が大切だ。
自分をゆるし人をゆるし、消えてゆく姿で平和の祈り。(如是我聞・正)
「消えてゆく姿の教えとは」 すべて愛して赦してゆくわけです。
とがめることがないように、人の心をとがめないように、一言もとがめることがないように、と思って出来た教え、それが消えてゆく姿なんです。(自由解脱への道)
「間違えてはならぬこと」 自分を赦し、人を赦し、といっても悪業の想念行為を赦すのではありません。
悪業の想念行為にからまれている、本心本体のほうの自分をあらためて、世界平和の祈りによって、想いおこさせるのでありまして、悪業の想念行為は、再びあってはならぬものとして、消し去ってしまうのであります。(自らを信ぜよ)
「人間だからこそ」 人間だから憎しみ合うのが当然だ、人間だから妬むのは当たり前だ、というけれど、私にはそれは許されない。
私は、人間だからこそ愛し合わなければいけない、人間だからこそゆるし合い、妬みや憎しみなどの想いがあってはならない、と思っている。(如是我聞・続)
「赦すという言葉」 赦すという言葉は、神の大光明の中に汚れた自己を解き放つということなのである。(失望のない人生)
「自分を赦さないから」 自分が自分を赦さないから、自分が立派にならないのですよ。(高級霊は上機嫌)


昌美先生のことば
「自分を赦す」 罪の意識を取り除く最も効果的な方法は自分で自分を赦すことである。(1994年白光誌2月号)
「自分を赦さない限り」 あなた自身をあなたが赦さない限り、その過去の出来事は今もあなたの目の前にずーっと尾をひいて、大きく存在していることになるのです。(幸せの扉を開こう)
「大物の度量」 大きな人物は、自分を批判した物も、自分に背いた者もすべて許し、よしとし、すべてを受け入れてゆく、度量がある。
そういう人間になりたいものだ。(日々の指針)
「人のために尽くしても」 たとえ人のために祈り、人の犠牲となり、人のために尽くしたとしても、自分を赦せぬようでは根本的に人生が改善されるはずはありません。(次元上昇)
「赦しは心を解放する」 自分を先ず赦すということは、自分を赦すことによって自分の心を自由に解放してあげることなのです。
責、苦、裁、罰、罪からの解放です。(1995年白光誌6月号)
「自分を赦せない人へ」 自分のことをいつまで経っても赦せなかったならば、赦せるようになるまで一生懸命、光明思想徹底行に励み、光明思想の想念行為を積み重ねてゆくことです。(1994年白光誌10月号)
「人を許せない原因」 何故そんなに人を許せないのか。
何故毎日暗く、悶悶として生きていかねばならないのか。
どこにその原因があるのか。
それは自分の心の中にある。
自分自身を許せない自分がそこに存在しているから許せないのである。
自尊心が傷ついてゆくのがたまらず、みていられず、そのため人が許せないのである。
原因はその人にあるのではない。
自分の心の中にあるのだ。(日々の指針)
「知らなければならないこと」 人に言えないほどの重い罪を犯していたとしても、また自分を赦せないほど自分自身を憎んでいたとしても、それは本当のあなたではないことを知らなければなりません。(1994年10月号)
「罪を犯すのは自分」 罪を犯すのは神ではありません。(1994年10月号)



『平成14年1月号』はありません。



神人

『平成14年2月号』より

昌美先生のことば
「神人の条件」 神人となるためには、まず第一に自らの魂が神であると認めなければならない。(2000年白光誌6月号)
「神人の心得」 何人も他のいかなる者と比較してはならない。
かえって他の者と等しくあるな。
その代わり、何人も神そのものと等しくあれー。(1998年10月号)
「神人の使命」 我々、真理に目覚めた神人たちの使命は、人々に内在している霊的直観力を蘇らせることにある。(2000年11月号)
「神人の出番」 いよいよ我々神人一人一人が大活躍する出番が回ってきた。
その働き、その活躍とは何か?
それこそ我々一人一人が完全なる神の姿を顕現することなのだ。(1998年12月号)
「存在するのは神人だけ」 人類とは、人間の集まりを称しての抽象的な名詞である。
昔から存在していたのは人間ではなく、神人だけである。
将来も存在するのは人間ではなく、神人だけである。(1998年5月号)
「神人と宣言した人々」 自らを神人と宣言した人々は皆一人残らず、今生が最後の生である(だがしかし、あくまでも本人の自由意志による。
来生も、未だ真理に目覚めぬ人類のために尽くしたいと思う人々は転生する)
神人としての天の計画に組み込まれているのである。(2000年6月号)
「十万人の神人が誕生した時」 地球上に十万人の神人が誕生すると、地球のバイブレーションが見事に変化してゆきます。
神人の発する波動により、地球そのものはより細かい微妙な、そして高度な状況へと発展してまいります。(1999年5月号)


五井先生のことば
「光で業をはいでもらって」 内なる神、つまり直霊の神から来た分霊の光を出すことは、自分一人ではなかなか出来ない。
そこでまず外から守ってもらう、光でだんだん業をはいでもらって、中の光と外の光と一つにすると、その人は神人、ゴッドマンになるのです。(光明の生活者)
「神人合一の働き」 肉体人間だけでなんでもできるという思い上がった考えを、神と人間との一体観によって、神々聖賢の力を借りて、地球世界に真の平和世界を打ち立ててゆくという、神人合一の働きをこれから示してゆくことになるのです。(本もの贋もの)
「全き統一の状態が」 本心とは、真の心、つまり人間内部にある神の心ということでありますから、人間の想念が神の心と一つになった時が全き統一というのであり、仏教でいう三昧とか、もっと深い意味をこめていえば、阿耨多羅三藐三菩提の境地というのであります。
常住こうした境地になっていられれば、その人は真実の人間(神人)であって、肉体をもったまま肉体を超越し得る人となるわけで、釈尊のような人になれるわけです。(宗教問答・正)
「キリストを現す」 キリストというのは真理ですからね。
真理が、真理の姿がいろんな人に現れてくるわけね。
それがキリストの再臨なのね。
みんな真理を現わす、みんな神の子の姿を現わすということが、キリストの再臨なのです。(高級霊は上機嫌)
「祈りとは」 「われは神より来た人である」という信念が祈りである。(如是我聞・正)
「邪魔する想いがなくなれば」 肉体というのは、本心の光を地球界に輝かすために現われているのです。
ただ、肉体の自分、自分、自分という想いがそれを邪魔しているのです。
そういう想いがなくなると、本来はみな如来さまなのだから、如来さまの自分の姿や光がそのまま現われてくるのです。(如是我聞・正)
「悟りは平凡な中にある」「」 悟りということは平凡な中にある。
誠実、愛、素直、感謝、あたりまえのことだが、それはみな悟りの現われた姿である。(如是我聞・正)




『平成14年3月号』はありません。

 


平成14年度

進化

『平成14年4月号』より

五井先生のことば
「進化をつづけぬ限り」 神のみ心は、常に人類の進化を願って働かれる。
進化をつづけぬ限り、人類はいつかその存在価値を失ってしまうのである。(失望のない人生)
「大宇宙の進化の仕組み」 この大宇宙は無限の進化をつづけておりまして、或る調和が完成しますと、そこにまた少しく不調和が生じ、その不調和させるために、更に大きな進化をつづけて、更に大きな調和を完成する、というようになっております。(信仰と直観)
「あらゆる自然の現象は」 地震も台風もあらゆる自然の現象は、すべて過去の未進化の人類の悪癖を消滅させ、浄め去るために、神々のみ心によってなされている現象なのである。(失望のない人生)
「風の悲しみ」 人間の心をより進化させようとする、大自然のみ心の一役を買って、風(台風)は働きつづける。
しかし、人の生活を破壊するのは、風にとっては悲しいことなのである。(失望のない人生)
「自分に不利なる出来事も」 この世における自分に不利なる出来事も、それはすべてその人々の大きな進化のための出来事として、私達は、神への感謝一念で生活していかなければいけません。(純朴の心)
「進化した星の人類が」 他の星々の進化した人類は、地球の未来を案じ、なんとかして地球に力を貸そうとしてきております。
(中略)私の知っている限りでは、宇宙人は地球を幼い弟妹という眼でみていて、その進化の手助けをしにきているのであります。(聖なる世界へ)
「微妙な波動体にさせてゆく」 現在、肉体人間として地球に存在しているのは、地球という物質世界を、人間も肉体をまとって、物質体として、地球と同化し、共に更に微妙な波動体にさせてゆくことが、進化の大眼目となるのであります。。(自らを信ぜよ)


昌美先生のことば
「神意識の重要性」 二十一世紀、宇宙の進化創造において、我々の神意識が地球にとっても人類にとっても、最も重要な役割を果たしてゆくことは、言うまでもない。(2001年白光誌3月号)
「宇宙ー地球ー人類の関わり」 地球も宇宙の大進化、大調和の一端を担っています。
地球という生命体も人類一人一人の真理の目覚めに深く関わり、根を一つにしています。(1998年2月号)
「宇宙の一切の存在が」 宇宙の運行は無限に進化、創造を繰り返し、ついに宇宙の一切の存在が全く一つに重なり、大調和のなかに吸い込まれてゆく。(1999年12月号)
「大いなる調和に向かって」 宇宙も地球も人類も社会もみな本来、大自然(真理)の法則に基づいて、大いなる調和に向かって進化、発展し、創造を続けてゆくものです。(1999年8月号)
「人類の存在意義」 人類は本来、地球を滅ぼすために存在しているのではなく、地球をよみがえらせるため、地球の進化と創造のために存在しているのである。(1998年9月号)
「肉体を進化させるもの」 我即神也の真理は、自らの肉体を変質させ、進化させることができる。(1999年5月号)
「頭や身体を使うほど」 本来、人間はどんどん進化してゆくものである。
頭や身体を使えば使うほど、ますます進化してゆくものである。(2001年10月号)
「人類が進化・創造を繰り返すと」 人類が肉体を持ち、地上で生きながら進化・創造を繰り返すということは、ひいては幽界・霊界にいる霊となった人類をも進化させることにつながり、さらに地球上に存在する生きとし生けるものすべての魂をも進化させる一助となっているのです。(1999年5月号)
「富士聖地における進化創造」 宇宙神・大光明霊団・神々様のエネルギーは縦横無尽で回転しています。
そのため、この場(富士聖地)では二元対立など起こり得ません。
なぜならば、二元対立の想いさえも大きな光のうねりに巻き込んで、超高速回転しながら上昇しつづけているからです。
ひとところに決して止まってはいません。
変化しています。
そして、創造しつづけているのです。(1999年10月号)

『dictionary』は平成14年4月号以降はありません。

*月刊誌「白光」より抜粋しました。