精霊流し


 ●お盆の行事で忘れられないのは、最近はなくなりましたが、円光寺さんはなかったのですが、海潮寺、尋声寺、安養寺では、お盆が終って一週間から十日ぐらいたった頃、大施餓鬼という法要の行事が、今でもありますが、これが昔は大変盛大で、その日は朝から門徒の男衆が集って、麦藁で、大きな舟を作ります。舟の真中には竹の柱を立てて「極楽丸」という織を掲げ、お経の文句を書いた短冊や、初盆のお家から上った提灯を、この柱と舟のへさきを結ぶ紐につるして飾りつけを致します。

 ●大抵夜の七時か八時頃から法要が始まりますが、本堂も七色の色紙を貼り合せ、お経のある文句を書いた短冊があちこちに下げられてありました。お経が終りますと、男衆や子供達は麦藁舟を担いだり、或は舟について川へ運んでゆきます。安養寺の舟は西川だったと思いますが、尋声寺の舟は円光寺さんの前の道(横町)を真すぐ川に向って、当時岸に石燈篭が立っていて、その岸辺から川に流しておりました。海潮寺の舟は堀川を通って、クリクリ伝馬船のある石段から川に流していました。

 ●威勢のいい処では、川に向う途中から舟に火をつけて、かなりの勢いで燃えているのを駆け足で川まで行ったものでした。

 ●それから本堂に下げられた短冊を一枚貰って帰って畑に立てておくと、その年の野菜に虫がつかないとの言い伝えがあって、それはもう多くの人が、奪い合うようにして短冊をもぎとっていました。こちらは、特に婦人の方が多いようでした。

 ●これが清霊流しというのかどうかわかりませんが、そういう行事の記憶があります。また、この頃は、初盆のお家で供養踊りを立てておりまして、供養踊りが立ちますと、大ていその町内の人殆どが踊って新仏の供養をしました。そういう踊りが各所でありました。勿論、今のように校区での供養踊りも学校の運動場で催されておりましたが、この各所の踊りは本場の鶴崎踊りがあるまで続いていたように思います。

 ●そうしたのんびりしたというと語弊があるかもしれませんが、隣近所の人達が慶弔につけ、皆で扶け合って生きてきた、いわゆる心豊かな時代であったように思います。

考察&備考:これも残念ながら廃れてしまいましたね。本当に残念です。(さだまさしの曲はよかったー!ん?関係ない?笑)