おしみや(太刀振神社)


前略:

  「御神殿、拝殿は多少修繕はしたでしょうが昔のままです。日露の記念碑も昔のまま、此処にも鳥居を入って左側に大きな桜の木がありました。それは驚く程の大きな桜の木です。役場の木と同じ位あったと思います。桜が満開の時は子供心に、うきうきした事を思い出します。親に隠れて殿薮の木昇ったり、泳ぎに行ったいたづらっ子でもこの桜にはのぼれませんでした。境内一面に散った花ビラを松の葉で一枚宛挿し、休み時間にどれだけ挿したか競争した。いたづらの反面優しい一面もあったのだなあと思い出します。」
  「それも女の子も一緒になって遊んだのです。大きな藤の巻き付いた木があり、その後に槙の木や欅がありました。御神殿に向って右側に小さな蘇鉄があり、境内の西側は土堤になっていて、その上に大きな楓が十本程植えてあり、今一本だけ枯木が残っています。木は法華津さんの方に大きく枝が伸びて、下は堀になっていて、秋になると紅葉して、これも桜に劣らない美しさでした。今大変大きくなっている境内の楠木や公孫樹、もと校庭の隅の楠木も当時はありません。これ等の木はほぼ十年も経つと大樹になる性質を持っています。今いろいろある木は後日のもので、当時のは一本もありません。それだけ桜や楓、欅、蘇鉄が鮮明に残っているのだと思います。「オシミヤ」は中川の殿様をお祭りしてありまして、主として板屋町の人々が御世話をして来たのですが、三佐海原の人達も尊敬者として、御祭りしています。此処の境内は運動場よりも少し高く周囲は丸石を四、五十センチ位積んでありました。招魂社は最近のものです。  

後略:

考察&備考:えー!桜がそんなにすごかったんですか。わたしも休み時間よくここで遊びました。おかげで4年生のとき滑り台で左手首を骨折して大変でしたが。(笑)現在、上記の法華津さん宅はなく裏町と板屋町の山車倉が出来ています。