三佐の祭り
前略:
「人間誰でもそうである様に「祭」とは楽しいものです。特に部落あげての祭ともなれば大変な行事です。注:戦前部落の氏神神社は、郷社、村社などと格付されていて野坂神社は郷社であった。」
「三佐のお祭りも昔の行事として大々的なものでありました。郷社野坂神社の祭典ともなると、大分県より奉幣使が立つと云って県から使者が参っておりました。地方政治と祭典が切り離せない状態の中で、部落あげての氏神々社の祭が執行われていたのです。従って小学校も一時休校して参列しておったのです。」
「小学校何年生の時であったか記憶にありませんが、先生に引率されて野坂神社の神事に参列した事があります。神事の時間が長くなると退屈して雑談を始め先生に叱られた様です。其の頃、野坂神社の境内には大きな樹木が繁っておりました。梟がとまっていて、誰が計画したのか鏡を持出して、太陽の光を反射させて、梟が目を晦まして落ちたような記憶があります。若し其れに誤があったとしても、当時梟に鏡で太陽光線をあてて目を晦ませて捕獲しょうなど発案は面白い事ではありませんか。こんなことで退屈して、ワーワーさわいで先生に叱られた記憶も楽しい思い出であります。」
「退屈した神事が終りますと、若者達、子供も一斉に山車引行事です。当時は部落毎に年番元(座前)があって、食事について「煮」「炊」総べて自分達の手で造って、酒肴を頂いたものです。今のように料理一括購入という事はなかったのです。歳下の若者が率先して走り使いをさせられた様です。」
「宵宮の山車引きは部落廻りから神社まで、カーバイトランプにローソク堤燈で賑かに並んだ景色は、今も忘れられない山車引行事のハイライトであります。アルコールが入って酔って参りますと、日頃の鬱憤が爆発して喧嘩がつきものです。部落相互間の問題の仲裁は大年番が取り仕切っておったようで、時として集会(対策の相談会)が開かれておりました。暗い道路の辺で○○部落取締と書かれた堤燈がずらっと車座に集まった様子は実に壮観で、子供心には寧ろ恐怖感を持った記憶が深く焼付いております。時代の変化と共に幾分変って来てはいるかも知れませんが、特に馬力が良くて横車を押す人が必ずいて、年番元の取締の人々を困らしておった顔を50年経った今日でさえはっきり憶えておりますが、其の人の名前を発表してみても今更どうにもなりませんので秘密と致します。
後略:
考察&備考:○なんと!県からお使いの方が来られていたとは!現在では信じられないことです。本当に昔は地方政治と祭典は切り離せない状態だったんですね。○それも学校が一時休校とは、、、今も家庭訪問にかけて午後から放課にしてますが、どうせなら昔みたいに一日休みにしてほしいですね。○また、先生が神事に引率されてとはすごい。相当祭り好きな先生(失礼)だったのでしょうか。○それと昔はふくろうがいたんですね。年番元が座前とは?新しい言葉を見つけました。座前とはなんでしょう?○雑用係りは大若では今も残っていて、「当番」と呼んでいます。その長が「当番長」でこの長く苦しい時代を経ないと上には上がれないんですよねー。(笑)○さすがにカーバイトランプは分らないですね。わたしの子どもの頃はローソクの時代で、かなり後になってバッテリーをつんで引いていました。重たかったですねこいつは。○そうそう祭りに喧嘩は付き物です。しかし、最近喧嘩も減りましたなー。みんな紳士になってきました。はい。○上記の集会とは、三役会のことですね。この光景外から見てたら本当に怖いですよね。みんな顔がヤンキーになってますから。この2日間だけは。わたしもそう。