雅楽からきたと云われる言葉、ことわざ
(五十音順)

わたしたちが、日常の中で何気なく使っている言葉の中にも、雅楽から派生した言葉、ことわざがたくさんあります。(下記の分にも諸説あり、雅楽以外からという物もあります。)
下記はその例を一部載せています。雅楽からきたと云われる言葉、ことわざは、まだ他にもあると云われています。(分かりましたら随時載せたいと思います。)

塩梅(あんばい)
  ○意味…物事の具合や様子また、程よい加減の時に用いられます。
  一般的には、料理での塩と梅酢の加減からきたといわれています。
  雅楽での読み方は「あんばい」ではなく「えんばい」と言います。
  雅楽で古くから、篳篥の奏法に使われています。
  同じ孔(穴)の音でも、吹き量や唇の位置を加減することで、音程に幅(高低やスラー)が出せます。
  この奏法を「塩梅」といいます。  

打(う)ち合(あ)わせ
  ○意味…前もって相談すること、下相談することをいいます。
  昔、京都・奈良・大阪(天王寺)には、それぞれ楽所(雅楽団体)があり、「三方楽所」と呼ばれていました。
  それら三方楽人が奏楽のために一堂に召し出された際、微妙な演奏法を調整する為、前もって集まり、まず打楽器から約束事を取り決めたことによりできた言葉です。
  なお、明治以後、三方楽人らが一つにまとまり、現在の宮内庁式部職楽部となりました。

打(う)ち止(ど)め
  ○物事の終わりや、興行の終わりを「本日の打ち止め」等といいます。
  雅楽の舞楽で舞人などが退出し、曲を途中で止めるときの打楽器の奏法の一つを「打止め」「撃止め」と言い、
  ここから物事や興行を終わりにすることを「打ち止め」と言うようになったものと思われます。

音頭(おんど)
  ○意味…人の先に立って手はずを整え、実現するように皆をまとめていく係のことをいいます。
  大勢で歌うとき、調子をそろえるために歌いだしの間合いや調子をとること、またそれをする人のこと。
  雅楽では「おんどう」(古くは「頭取」)といい、三管(笙・篳篥・龍笛)の主奏者(主管)「しゅかん」を指します。
  また歌の主奏者を「拍子」といい、「拍子をとる」という表現も生まれています。

楽屋(がくや)
  ○役者などが化粧をしたり衣裳を着けたり、準備をする場所を楽屋といいますが、本来は雅楽の楽人の奏楽する場所でありました。
 昔、庭に舞台を造る時は、楽屋は舞台のそばに仮設したり、回廊に幕をはり楽屋としました。
 楽屋は、舞台より3間余り後に、横3間、奥行4間余りとし、前の方を管方の演奏する場所、後を屏風で隔てて舞人が装束を着ける場所としました。
 楽屋は文字の通り音楽を奏する場所でした。

ぎっちょ
  ○意味…左きき、左ぎっちょ
  「打球楽」という舞楽で、毬打(ぎっちょう、ぎちょう)というゴルフのパターのようなものを持って舞います。
  普通右手に持って舞うのですが、ある人が左手に持って舞った事から、その言葉ができたと言われています。

こつ
  ○意味…物事をする場合のかんどころ、要領をいいます。
  雅楽器の笙は十七本の竹で組まれています。
  それぞれの竹には、金属の響銅(さはり)で作った簧(した:リード)が付いていて、出る音にもそれぞれ固有の名前が付けられています。
  「乞」(こつ)という音はとても出しにくい事から、その言葉が出たとも言われています。
  「乞」の穴は、左手薬指の位置にあります。
  篳篥の音程に合わせ、唱歌では高い方の「乞」と、低い方の「乞」と使い分けて歌いますが、演奏では「乞」は同じ穴です。

唱歌(しょうが、又はしょうか)
  ○意味…歌を歌うこと、歌詞。または明治初期から第二次大戦終了時まで学校教育用に作られた歌のことをさします。
  雅楽では各管(笙・篳篥・龍笛)それぞれの旋律を大きな声で歌って暗譜する習慣を「唱歌」(しょうか、しょうが)(古くは「そうか」と読んだ)といいます。
  明治時代、欧米の音楽教育を取り入れた際、日本では欧米のように歌を歌う習慣がなく、その言葉もなかったので、この言葉が採用されました。

序(じょ)の口(くち)
  ○意味…物事の初めの部分、あるきまりに従った並べ方の一番先頭のことをさします。  
  クラシック音楽の楽曲でよく「第○楽章」という名称を聞きますが、雅楽の楽曲も同じように複数の楽章によって構成されています。
  雅楽の場合は「第○楽章」という呼び方はせず、楽曲のそれぞれの楽章には「序」とか「破」、「急」などの名称がつけられています。
  例:五常楽序・五常楽破・五常楽急 太平楽序・大平楽破・太平楽急 等

雅楽の管絃・舞楽の曲で典型的構成とされる、序と破と急の三つの楽章。
曲名に付して「五常楽の急」「太平楽の急」などと呼ぶ。
序(冒頭楽章)は緩徐かつ非拍節的。
破(中間楽章)は緩徐ながら拍節的。
急(終楽章)は急速で拍節的。

*三省堂提供「大辞林 第二版」より

千秋楽(せんしゅうらく)
  ○意味…物事の終わり、芝居や相撲などの興行の最後の日のことをいいます。(千歳楽、らく)
  後三条天皇か、近衛天皇の大嘗会に作られた曲です。
  唐楽で盤渉調です。(キー音は篳篥では「工」、笙では「一」です。六調子の中でもこの盤渉調は、どこか物悲しく、切ない感じの調子です。)
  後に黄鐘調にも移調されます。
  舞楽法会などの最後には、この曲を演奏することが多かったようです。
  相撲や芝居の最終日を千秋楽というのは、このことからきています。

太平楽(たいへいらく)
  ○意味…好き放題に言ったり、のんきなさまをいいます。
  雅楽の「太平楽」は鉾をもったり、太刀を抜いたりして舞う優美な武舞で、即位の大礼後の饗宴で舞われます。
  漢の劉邦と楚の項羽が鴻門で宴席をともにした際、楚の項荘と項伯が剣を抜いて舞ったのを模した舞といわれています。
  悠々たる雅楽のなかでもとくに悠長なものの代表とされ、天下泰平を祝うさまから使われたといいます。  

頭取(とうどり)
  ○意味…頭立つ者、長たる人のこと。また、銀行などの代表者となり、その職務をなす者をいいます
  頭取(とうどり)の語源は、雅楽が原義といわれています。
  銀行のトップを頭取と呼びますが、これは雅楽演奏時における各楽器の主席奏者の呼び名「音頭」(おんどう)から来ているようです。
  音頭はいわば、各楽器のリーダーと言える役目なのですが、そのリーダーとして「音頭を取る」という意味で、音頭取り・・・頭取・・・となったという説が有力です。

とちる
  ○意味…失敗する、やりそこなうことを意味します。
  雅楽では、唐楽「五常楽急」の曲の冒頭にある笛の唱歌は「トロルイ」で、戻って二回目は「チラルイ」となりますが、頭のトとチを間違って歌ってしまったことから生まれたとする説があります。

二(に)の句(く)が継(つ)げない
  ○意味…呆れかえったり、あまりのことに何も返す言葉がなかったりする時に使われます。
  雅楽の中の「朗詠」から出た言葉です。
  朗詠は、漢詩で歌われ、一の句、二の句、三の句の三部分に分かれています。
  「二の句」は高い音がその聞かせどころですが、低い「一の句」から一転、急に、高い音域の「二の句」に変わるので、とても音がとりにくいのです。
  そのことから、この言葉があります。

二(に)の舞(まい)
  ○意味…前の人と同じような失敗をした時に使われます。二の舞を踏む…同じ失敗を再び繰り返すことをいいます。
  二舞(舞楽曲)から出た言葉です。
  「二舞」は、通常「安摩」(あま)に引きつづき舞われます。
  舞いぶりは、はじめは安摩の舞を舞台の下で見ているますが、やがて安摩が舞台を降り、二舞が上がります。
  そして安摩をまねて舞おうとしますが、滑稽で似ても似つかぬひどいものになってしまうことから生まれた言葉です。
  「安摩」は天竺の天子を表し、二人舞です。
  左方の襲装束に雑面を付け、笏を持ちます。
  「二舞」は、醜い年老いた夫婦の姿を表し、二人舞です。
  左右の襲装束で、面は咲面(笑った面)と腫面(ただれた面)を付けます。  

申(もう)し合(あ)わせ 
○意味…打ち合わせと同義で、前もって相談すること、下相談することをいいます。

  
   雅楽は京都に於いて宮中と堂上公家の庇護の下に今日まで伝えられたと
   思われがちだが、それだけではない。大阪の四天王寺を本拠として活発な
   活動をおこなっていた四天王寺楽派。奈良の興福寺・東大寺・春日大社
   などで演奏をしていた南都楽派。

   八世紀から雅楽はこの、後世「三方楽所」と言われる三ヶ所でそれぞれが
   独立した形で継承してきたのである。十五世紀半ばに起こった「応仁の乱」
   は今日の都に壊滅的な打撃を与え、宮廷は衰微し、雅楽も演奏家達も離散
   して京都の雅楽は絶滅の危機に陥った。乱が終わっても、
   大きな節会(せちえ)、御遊(ぎょゆう)には楽人の人数が揃わず、
   演奏が出来ないありさまにあった。

   宮廷では、南都と四天王寺の楽人を節会等の時京都に招き、
   楽人の補充をするようになった。南都と四天王寺の楽人たちは、お召しが
   あると京都の「楽所(御所にあった雅楽の練習所)」に集まって練習すること
   になるのだが、普段あまり交流の無い楽人達が集まって演奏しても
   簡単に合うはずがない。

   楽器別の練習が行われることになる。まず打楽器(鞨鼓、太鼓、鉦鼓)を
   合わせる練習である。この練習を「打ち合わせ」といったらしい。
   源氏物語にも、「夜もすがら尊きことにうちあわせたるつづみの音たえず、
   おもしろし」と、打ちものを打ち合わせている光景の記述がある。
   打楽器があうようになると全員の合奏練習になり、
   それも「申し合わせ」と称している。この「打ち合わせ」と「申し合わせ」が
   語源といわれるのだが、最初に使われた意味からすると、「申し合わせ」より
   「打ち合わせ」の方が規模が小さいような気がするのだが、どんなものだろう。

                     *東儀 俊美著「雅楽神韻」より


やたら
  ○意味…「むやみに」「やみくもに」というような意味です。
  雅楽には、八多羅(やたら)拍子という特殊な拍子の曲があります。
  二拍子と三拍子の混合拍子という特殊な拍子で、舞楽に使われています。
  農耕民族である日本人は、騎馬民族と違い、三拍子の拍取りが苦手といわれています。
  ましてや、混合拍子の八多羅拍子となると、未熟練者は演奏がバラバラになってしまうのです。
  このことから「やたら」と言われるようになったといわれています。。

野暮(やぼ)
  ○意味…風流でないこと、「粋」でないことを表します。
  語源は定かではありません。
  雅楽器の「笙」は十七本の竹で組まれています。
  それぞれの竹には、金属の響銅(さはり)で作った簧(した:リード)が付いていて、出る音にもそれぞれ名前が付いています。
  ところがやがて、日本的でない二つの音が使われなくなり、竹から簧も外されてしまいました。
  今となっては当時どのような音が出ていたかは分かりません。(正倉院宝物の古楽器の中には十七本全てに簧が付けられている物があるらしいと聞いたことがあります。)
  簧の付いていない竹を、いくら吹いても音は出ません。
  その二つの竹にある穴(音)は、「也」と「毛」という音で、その「や、もう」が少しずつなまり、変化し「やぼ」になり、風流でない時などに使われる言葉になったといわれています。

ろれつが回らない
  ○意味…酒に酔い過ぎ、舌がもつれてうまく話せないことをいいます。
  雅楽の旋法には、「呂」(ろ)と「律」(りつ)というものがあり、それぞれの音階に基づいて演奏されます。
  その「呂」「律」の音階を間違えると訳の分からない曲になってしまうことから、「ろりつ」がなまり、この言葉ができたといわれています。
  元々は「ろりつ」が回らないと言っていたのかもしれません。


*引用サイト:「雅楽的音楽研究書」様「花橘の馨邸」様